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とり戻したい夏を追いかけて~BUMP OF CHICKEN「天体観測」とフジファブリック「若者のすべて」~

※2021年8月24日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。

BUMP OF CHICKENの代表曲と言えば「天体観測」、フジファブリックの代表曲と言えば「若者のすべて」が挙げられる。

思うようにうまくはいかない人生を歩み続けていて、幾度となく、否、日々、この2曲に励まされて、生きている気がする。

なぜ、この2曲なんだろうと考えてみた。もちろん双方の代表曲で、耳にする機会が多いからということもあるだろうが、それだけじゃない。この2曲には聞き手、すべての人たちに与えてくれる“何か”がある。その何かとは一体なんだろう。その謎を解き明かしたくて、考察してみることにした。

テンポは全然違って、「天体観測」は疾走感があり、「若者のすべて」はどちらかと言えば、ゆるやかで落ち着きがある。
しかしそれぞれの歌詞の中で藤原基央と志村正彦が描いた物語の世界は共通する部分が少なくない。
以下、「天体観測」から引用する場合は〈 〉を、「若者のすべて」から引用する場合は《 》を使うことにする。

〈ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい〉
《真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた》

曲の冒頭、〈ラジオ〉と《テレビ》でそれぞれ天気や季節の移ろいを感じているシーンからスタートしている。

〈午前二時〉と《夕方5時のチャイム》という具体的な時間設定もなされており、そのほんのひと時の間で、それぞれの主人公・孤独な“僕”が、会えない“君”に思いを馳せ、“今”を起点に、“過去”に遡ったり、“未来”に憧れを抱いたりしている。

今は孤独かもしれないけれど、二人で過ごせた過去があった。未来はこのまま一人かもしれないけれど、もしかしたらまた“君”と二人で過ごせるかもしれない。孤独ながらも淡い期待感を捨てずに前向きに生きていこうとする、物語の主人公“僕”たちに共感してしまう人は多いだろう。

「天体観測」では〈ほうき星〉を、「若者のすべて」では《花火》が象徴的に描かれている。
それぞれ、底なしみたいな〈暗闇〉の中にいて、微かに一瞬きらめく希望の光だ。それは単純に夜空を描写したわけではなく、孤独な“僕”の心情を表現したものだろう。“君”とうまくいかなくて、暗い気持ちで過ごしている中、“君”と再会できる未来が待っているかもしれないという明るさを、それぞれ〈ほうき星〉と《花火》という光として表現している。
両方とも、儚く、永久的に見続けられる光ではない。夜の暗闇の中、救いようのないほど落ち込んだ気持ちの時にだけ、より一層輝いて見える《明かり》だ。

「若者のすべて」においては《花火》以外にもう一つ、光として描かれているかもがある。それは《街灯の明かり》。夜中ずっと点灯している光として描かれているのではなく、《街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ》と明かりが点いた瞬間、つまり日が暮れて夜に向かう、黄昏時のひと時を強調しているように見える。《花火》と同じように、ぱっと光る“刹那”を描いているのである。これは明るい未来に気付く合図になった。

《途切れた夢の続きをとり戻したくなって》

「天体観測」においても同じようなシーンがある。

〈静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた そうして知った痛みが 未だに僕を支えている 「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている〉

急ぐ夜の帰り道、ふとぼんやり光る“今”という〈ほうき星〉を見つけて、孤独なままだとしても、明るい未来に向かって駆け続けている様子を感じることができる。

〈もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで 前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ〉
〈始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも 「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている〉

という前向きなラストシーンもまた、「若者のすべて」のラストの情景に近い。

《ないかな ないよな なんてね 思ってた まいったな まいったな 話すことに迷うな》
《最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ》

ずっと“僕”の一人ぼっちで退屈な日常、孤独な心情を描いていたのに、ラストシーンでは“僕ら”という二人を印象付ける描き方に変わる。
「天体観測」では再会できたかどうかは定かではない描かれ方だけれど、“君”と“僕”は「若者のすべて」同様、《同じ空》を見上げていることだろう。

2曲とも、“僕”のちょっと退屈な日常や、“君”と過ごせた幸せな過去を軸にストーリーが展開されているが、2番になると、唐突に

《世界の約束を知って それなりになって また戻って》
〈気が付けばいつだって ひたすら何か探している 幸せの定義とか 哀しみの置き場とか〉

というように、抽象的で、哲学的な言葉が登場する。《世界の約束》、〈幸せの定義〉、〈悲しみの置き場〉を考えてしまう“僕”もまた、孤独な主人公たちにとっては、当たり前の日常の一部なのかもしれない。それらを知り、考えることでかろうじて生きて来れたような、明るいというよりは暗そうな主人公たちの性格を端的に表現した歌詞だと思う。

〈ほうき星〉や《花火》、そして“君”という明確な存在を追い求めているわりに、ぼんやりした抽象的な言葉に頼らざるを得ない、“僕”たちのやるせなさ、もどかしさのようなものも感じられる。

そのもどかしい、やるせなさもまた、魅力のひとつだ。「天体観測」の季節も「若者のすべて」と同じく、夏と仮定すれば、“夏=イベントが多くて、楽しい思い出がたくさん作れる季節”というイメージがある。楽しい思い出を作らないといけない季節とも言える。

“花火”や“天体観測”は夏の思い出を作るのに、最高のイベントだ。夏も終わりかけだというのに、何もなく、淡々と過ぎていく時間の中で、もしかしたら“君”と夏の思い出が作れるかもしれない。確定しているわけではないけれど、こんな“僕”にもまだ夏を楽しむ機会が残っているかもしれないという期待感が垣間見える。

《「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて》


今年の8月、お盆が始まる少し前のこと。

「花火あるよ」と知人から非公開情報を教えてもらった。「若者のすべて」という曲と出会って以来、私が夏になるとしょっちゅう花火を見たいと言っているのを知っているからだと思う。県内だし、見に行きたいと思った。

何しろ去年からコロナ禍の影響で、花火は中止が多く、開催されたとしても、ゲリラ的に突然どこかでほんの数分、打ち上げられるパターンが多くて、去年は花火の音しか聞くことができなかった。今年もまだ一度も花火を見られていない。もしかしたら2年連続で花火を一度も見られないまま、夏が過ぎていくのかな…と思っていた。

今年に限っては、もはや期待もしていなかった。どうせ見られないだろうと、諦めてもいた。けれど、花火があるという。しかし天気予報によると当日は雨の予想だった。早々中止にするのではなく、打ち上げるかどうかの決断はギリギリまで先延ばしされているという。

打ち上げ花火予定日、〈予報外れの雨〉ではなく、予報通りの雨模様…。しかも《真夏のピークが去った》を通り越して、秋を感じさせる気温で最高気温20℃にも満たない肌寒い日となってしまった。午後二時頃、「中止になった」という連絡をもらった。

花火があると教えられて数日間、もしかしたら今年は花火を見られるかもしれないと、珍しく高揚感を覚え、心は弾んでいた。2年分の夏を取り戻せるのではないかと密かに喜んでいた。けれど、結局、花火は中止になってしまった…。

思い返せば、一昨年2019年の夏、「若者のすべて」という曲と出会い、煙まみれの花火を見たという音楽文を書いた記憶がある。煙まみれだとしても、あの時は間近で、見られたから良かった。あの花火を〈未だに僕は覚えている〉し、〈未だに僕を支えている〉。たしかに《何年経っても思い出してしまう》花火になった。だからまた煙まみれでもいいから、花火を見たいと願った。2年越しの花火を見に行こうと計画を立てていたから、中止は本当にショックだった。

でも花火の件を教えてもらって以来、数日間、「現時点でどんな感じですか ありそうですか なさそうですか」、「あるかもしれないし ないかもしれない 多少の雨ならやるし 当日まで分からない」というはっきりしない、やり取りを繰り返していて、《ないかな ないよな きっとね いないよな》という「若者のすべて」の揺れ動く“僕”の心情さながら、頭の中ではずっと曲のサビが鳴り響いていた。

そして期待、諦め、希望、不安などが交錯する夏のひと時を過ごしていた。不確実で、掴めそうで掴めない、手応えの感じられないものを手のひらでそっと掬うように、静かに生活していた。掬えなかった夏の風物詩は水のように指と指の隙間をすり抜けて、こぼれ落ちてしまった。

だから結局、何も残らなかったと思いきや、そうでもなかった。「天体観測」が私に花火を見られなかった残念な夏にも残るものがあるということを教えてくれた。

〈見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ 静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ〉
〈知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ 暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ〉
〈見えてるモノを見落として 望遠鏡をまた担いで 静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた〉

私は見えない花火に憧れて、この数日間それを何とかして見ようと必死だった。知らない花火を知りたくて、花火の光を追い求めていた。そして中止の知らせを受けて、がっかりした時、見落としていたものは、この数日間の花火みたいな輝きだった。

LINEの期間限定の仕様で、「花火」と言葉を打ち、やり取りする度に、スマホ上で花火が上がった。言葉を交わしているだけでも、小さな花火は見られたし、見えないけれど、心の中では花火が上がった時のように、ときめいていた。今年は花火を見られるかもしれないとわくわくできた期間があっただけでも、花火を見た時と同じ感覚を味わえていたのだと気付いた。

私はこの夏、見えない花火を見ることができたんだと感じることができた。それはつよがりでもなく、人生あまりうまくいかない自分にとっては、これくらいささやかな夏の思い出の方が、しっくりするとも思えた。見れたとしても煙まみれの花火だったり、雨で中止になってしまった花火に思いを巡らす方が等身大の自分らしいと思えた。

そもそも誰もが羨む眩しいほど輝く夏の思い出を毎年のように作れている若者なんて何割くらいいるだろうか。多くの夏歌の中では、海や祭りを舞台に当たり前のように輝かしい夏の思い出が描かれているけれど、実際にそれを毎年キープするなんて難しいだろう。だから逆に言えば、「若者のすべて」や「天体観測」の中で描かれた、孤独そうで、ちょっと不器用な主人公たちこそ、リアルな若者たちの等身大の姿であり、リリースから何年経っても、未だに若者たちの心を捕えて離さないのだろう。

特に近年は、コロナ禍の影響で夏を思う存分、楽しめない状況になっている。憧れの夏を指をくわえて傍観している人たちが増えた今だからこそ、「若者のすべて」や「天体観測」の歌詞の世界がますます必要とされている気がする。

見れそうで見れない、会えそうで会えない、不確実な世の中で生きていくということは、それなりに傷も増えていく。
〈握れなかった痛み〉、〈そうして知った痛み〉、《すりむいたまま》など、傷を抱えながらも前を向いて生きていかなければならない時こそ、この2曲は威力を増す。
〈未だに僕を支えている〉、《僕はそっと歩き出して》と過去や今の傷さえ糧にして、未来に向かって突き進もうとするストーリーは聞き手すべての人たちを勇気付けてくれるだろう。

過去を思い出していたり、今の生活に停滞しているような、あまり大きな動きの見られない主人公たちが、〈ほうき星〉や《花火》を拠り所に一歩ずつ歩き出し、駆け出す姿は感動的で、理想像にもなる。
“花火”や“天体観測”というイベントで、何も支障なく約束通り、大切な相手と一緒に思い出を作るハッピーな展開ではなく、誰にも知られないように自問自答を繰り返し、自分一人の世界でただひたすら“君”を思う、どうしようもない“僕”の内面を深掘りしているからこそ、より多くの人たちの共感を得られているのだ思う。

「天体観測」も「若者のすべて」も、〈ほうき星〉や《花火》のように儚く、すぐに消えてしまいそうなちょっと頼りない“僕”が主人公ではあるが、ちゃんと未来を見据えている点で、前向きさもあり、〈ほうき星〉や《花火》のように、きらっと輝く光が彼ら自身から感じられる。
彼らの心情そのものがそれらの光のようで、目が離せなくなるし、印象に残る。何度でも聞きたくなるし、夏が来る度に口ずさみたくなる。

若者とは言えないかもしれない年齢になった今もなお、これらの曲からは“背伸びしていない若者の夏のすべて”を感じられ、大きな声で若者と言えた10代、20代の頃、傍から見てもつまらない、飾り気のない夏を過ごしていた自分にも、ささやかな夏の思い出はあったはずだと教えてくれる気がする。
夏という季節がある限り、見えないとしてもどんな夏にもきらめきがあることを教えてくれるような、すべての人の夏を肯定してくれるような楽曲が、「若者のすべて」と「天体観測」だと考える。

この季節、ふいにテレビで「若者のすべて」が流れることも多い。ラジオで「天体観測」を聞くこともある。夏だからと言って、相変わらず派手なことは何もない、地味でささやかな日常の中で、ふとこれらの曲を自発的ではなく、偶然耳にすると、非公開花火に遭遇した時と同じようにうれしくなる。夜空に流れ星やほうき星を見つけた時と同じように幸せな気持ちになる。

《花火》や〈ほうき星〉みたいに幸せや喜びをもたらしてくれる「若者のすべて」と「天体観測」という楽曲が存在してくれることによって、どうやら一度も花火を見られそうもない今年の夏もちゃんと思い出を残すことができた。

花火が中止になってしまった雨降りの夜、「天体観測」と「若者のすべて」を聞きながら、見えない花火に思いを馳せつつ、花火を見られた一昨年の夏と変わらない、同じ空を見上げてみようと思う。

今夜は次の夏を夢見ながら、“今”を追いかけるよ。

君が来ないとしても、あの夏の続きをとり戻したくて…。

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