見出し画像

「命の源、母の味。」

命を与えられた瞬間から、ずっと母から命の源となる栄養をもらって生きている。胎児だった頃は、へその緒を通して、自分が成長するために、母体から栄養をもらうというより奪って、必死に生きようとしていた気がする。妊娠中、母はよくラーメンを食べていたらしい。ラーメンしか食べたくない時期もあったようだ。だから私の好物はラーメンとはならなかったけれど、胎児の頃、自分を形成してくれた食べ物のひとつとしてラーメンという存在は大きかったと思う。
 
昨年、発表された研究結果によると、まだ口から栄養を摂れない子宮内の胎児にも味覚や好みはあるらしく、母親が甘いにんじんを食べると笑顔に、苦いケールを食べると泣き顔になる場合があるという。胎児だった頃の自分は、母がラーメンを食べると子宮の中で笑っていたのかもしれない。
 
新生児微笑という言葉があるそうで、おいしくてうれしいから笑顔を見せるというよりは、筋肉の弛緩で笑っているように見えるだけかもしれないが、胎児の場合も甘いものの方が顔の筋力は緩みやすいのかもしれない。苦味=毒という本能が敏感な子どもは特に甘いものを好みやすいし。大人になるにつれて苦味に慣れてしまい、毒に鈍感になってしまうのかもしれない。
 
無事に生まれた後も私は、母から母乳をもらい、そのうち離乳食を与えてもらった。そして何でも食べられる時期になれば、大人と同じ三食の手料理やおやつを毎日、食べさせてもらった。幼稚園や高校生時代はお弁当も当たり前のように母に作ってもらった。
 
専業主婦ということを抜きにしても、母は料理が得意で好きな方だと思う。おそらく母の母(私の祖母)があまり料理は得意な方ではなかったから、必然的に母は得意になったのだろうと思う。そして料理上手な母がいると、自力で料理をする必要があまりない私は、祖母と同じように料理が得意ではない。
 
母においしい手料理を作ってもらえて当たり前だった私は、友だちができるまで、それが当然ではない場合もあることに気づかず、母に感謝したことはなかった。小学生になり、学区外の学校に通っていた私の元に、友だちが時々泊りがけで遊びに来てくれるようになった。おもちゃと私の母の手料理も目当てだと友だちは言っていた。おもちゃはともかく、料理なんてどこのお母さんも作ってくれるものでしょと思っていた私は、そんなことを言う友だちが不思議で仕方なかった。けれども友だちいわく、うちのお母さんも作ってはくれるけど、こんなにおいしい手料理は作ってくれたことないよと。友だちが来るから、いつもより気合いを入れて特別なものをこしらえていたわけではなく、我が家にとってはいつもと変わらない食卓だったから、そんなに褒めてもらえるなんてうれしいと思ったし、自分の母の料理が他の家庭でも当たり前というわけではなく、恵まれているものなんだと友だちのおかげで初めて気づけた。
 
醤油、砂糖、しょうがで下味をつけたささみを片栗粉をまぶして揚げる肉のフライ、それと同じ要領で味つけしたかつおやまぐろの刺身を揚げた魚のフライ、小麦粉に粉末のカレー粉を混ぜたものをちくわにつけて、天ぷらのように揚げるちくわのカレー粉揚げ、油あげ、にんじん、しいたけなどを入れて醤油、砂糖、だしこんぶで味を整える炊き込みご飯=通称・味つけご飯も友だちから好評だった。レーズンやくるみ入りのパウンドケーキや、プリンの元にコーヒーの粉を混ぜて作るモカプリンなど、おやつも友だちは気に入って平らげていた。何でもおいしいと喜んで食べてくれる友だちのことを母はうれしかったと思うし、私もそんなおいしい料理を作ってくれる母が誇らしくなった。
カレーを作る時は、甘口のルーに牛乳も足すものだから、かなりマイルドなカレーライスだった。カレーに牛乳を入れるなんておかしいよと他の友だちから言われたこともあったけれど、母の料理を食べ慣れている友だちは、そのカレーもおいしいと言って食べてくれた。私も母が作る少し牛乳入りのカレーが好きだった。
 
料理上手とはいえ、そこそこ食べ物の好き嫌いも多く、偏食気味の母は、何でも作ってくれるわけではなかった。ハンバーグやパスタなど洋食はあまり好みではなく、作ってくれるとしても昔ながらのナポリタンくらいだった。和食中心で、スープではなくみそ汁があって当たり前、パンではなくご飯、そしてひじきや煮物などに、メインは肉や魚料理が主流だった。(お弁当にサンドイッチを作ってくれることはあったけれど。)そのせいか洋食に憧れていた私は、自由に何でも食べ歩けるようになった大学生くらいになると、友だちとファミレスに通い、母があまり作ってはくれなかった憧れの洋食をたくさん食べるようになった。あまり食べて来なかったものを食べられるようになってうれしいし、おいしいし、ついつい食べ過ぎてしまって、徐々に太り出した。栄養バランスの良い母の料理しか食べていなかった頃は、太ることなんてなく、むしろやせていたというのに、成人して以来、20キロ以上は増えてしまった。
外食ばかりするようになったわけではなく、大学も実家から通っていた私は、もちろん母の手料理も食べてはいたものの、どちらかといえば、母の料理以外のもの珍しい料理に舌は感動を覚えるようになっていたと思う。
 
けれど30歳くらいになった頃、子ども時代にいつも母の料理をおいしいと言って食べてくれていた友だちに子どもが生まれ、遊びに行くことになった時、たまたま母が作った例の味つけご飯や肉のフライが残っていたから、お弁当につめて持って行ってみた。するともちろん友だちはひさしぶりに食べられてうれしいと喜んで食べてくれたがさらに、離乳食が過ぎた頃で友だちの作った混ぜご飯を残していた子どもも、味つけご飯をむしゃむしゃぺろりと食べてくれたのだ。母の味を友だちだけでなく、友だちの子にまで気に入ってもらえたことに感動した。こんなに喜んでもらえる母の手料理を蔑ろにして、外食に夢中になっていた自分がなんだか恥ずかしくなった。
 
そして今はずっと実家にいられる暮らしではないため、母の手料理を食べる機会もかなり減ってしまった。母と違って料理が得意でも好きでもない自分は、どうせ一人だしとスーパーやコンビニで買ったお惣菜や、ファミレスでテイクアウトできるお弁当など、かなり手抜きご飯で済ませることが多い。一応サラダやフルーツも意識して摂るようにはしているけれど、母が作ってくれる一汁三菜には程遠い。実は料理の中でもみそ汁だけは母に負けないくらい得意な方ではあるものの、一人だと面倒だったり余ってしまうことが多いので、めったに作らない。そもそも本格的に一汁三菜の料理を作ろうとすると、そこそこお金もかかるので、一人分だと買った方が安く済むし。そんな食生活を送っているものだから、体重はますます増える一方で、健康面を考えたら、そろそろ母を見習って、手料理をがんばらなきゃなと思っていた。
 
そんな矢先、10年に1度の寒波で母が腰を痛めてしまった。元々かなり痩せているせいかもしれないが、寒さで腰を痛めてしまった途端、一気に10歳は更けて見えるようになった。料理も何をするにも、ずいぶん時間がかかるようになった。いつも実家にいられるわけではないので、手伝えないのがもどかしい。そしてふと思った。母の料理を食べられる時間はとっくに折り返し地点を過ぎていて、あと何年も母の味を食べられるわけではないのかもしれないと…。まだ70歳にもなっていないし、今すぐ命に関わるわけではないと信じたいが、100歳まで生きられたとしても、何でも一人でできる健康寿命はそう長くはないかもしれないと気づいた。
 
だから私は母が少しでも元気なうちに、母の味を自分でマスターして、レシピを残したいと思うようになった。作り方は何となく分かっているつもりだけど、すべて自分で作ろうとしたら、たぶん上手くいかない。母より上手く作れる自信があるのは、みそ汁と春巻きくらい…。母から教えてもらえるうちに、すべて教えてもらわなきゃと焦り始めた。味つけご飯以外にも、くるみご飯とか、まいたけご飯とか、いろんなレパートリーの炊き込みご飯があるし、豚肉嫌いの母が考案した酢豚ならぬ酢鶏(ささみ)や、じゃがいもやにんじん、こんにゃく、油あげを肉じゃが風に味つけして煮たら、片栗粉でとろみをつけて食べる、くずかけも母のように上手く作れる自信はない。だから今のうちに練習して、分からない時は母に教えてもらおうと思うようになった。
 
外食やスーパー、コンビニのものはお金さえ出せば、いつでも食べられる。けれど母の味は母が作られなくなったら、二度と食べられなくなってしまう。既製品と比べたら、かなり薄味で、みそ汁さえもみそ風味の出汁スープみたいに薄くてたまに味気ないと思ってしまう時もあるけど、野菜や豆腐など具沢山で、素材本来の味が分かるような薄味の母の料理が健康面に良く、身体にやさしく、ほっとできることを胃腸だけでなく、心も知っている。時々、あの出汁の味しかしない母のみそ汁が無性に恋しくなる。たぶんそれは胎児の頃から知っている母の味で、私の命の源であり、私の味蕾の記憶に染み付いてしまっているからだろう。母の味は身体や健康を維持する料理でもあり、心に栄養をチャージしてくれる料理だ。最近どうにも元気が出ないのはきっと心が母の味に飢えているからかもしれない。だからこそ、手料理を作らなきゃ。
 
知人が遊びに来てくれる時、一人の時はほとんど作らないのに、ごくまれに手料理をふるまうことがある。母の味を意識しながら、黙々と作る。お世辞だろうけど、おいしいと言って残さず食べてくれる。私はその度に「お母さんの味は、子どもの頃からみんなに好評だよ。だからずっと手料理を作ってくれて、その味を教えてくれてありがとう。」と思う。けれど私はたまに作るのがやっとで、とても毎日作るのはたいへんだと弱音を吐いてしまう。だから40年以上、毎日三食、家族に料理を作り続けている母のことは尊敬してしまう。家族の命を守ってくれてありがとう。私がお母さんの料理をマスターするまで、もう少し元気でいてね。何しろ卵焼きもまだ、お母さんのように上手に巻けないから。

#母の味 #おふくろの味 #食事 #一汁三菜 #手料理 #手作り #ご飯 #命の源 #栄養 #健康 #元気をもらったあの食事  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?