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「まちがいさがし」だからこそ、みとめ、ゆるし、ほめるということ~自分を信じるために~

 中学国語の答案を採点する仕事を始めて今年で18年になる。簡単に言えば「まちがいさがし」をする仕事で、漢字や言葉のミスを発見する校正の仕事にも近いかもしれない。かつては多かった作文や小論文を採点する機会は減ってしまったが、多くの作文を読み続けたおかげで、漢字のミスや文章のねじれ等は他の職種の人たちより、早く見つけることができる気がする。いつも利用しているエレベーター内で、漢字の送り仮名ミスのある説明文を目にする度に、気になって仕方がない。(国語の先生もどきの自分自身も漢字のミスはするし、文章のねじれもけっこうあるので、偉そうなことは言えないが…。)漢字や言葉遣いが気になるのは、ある意味、職業病だと思う。
 
 答案のまちがいさがしは語弊を恐れずに言えば、「あら探し」にもなり、答案と向き合い、指摘する時、感情を入れてしまうと、心苦しくもなる。だからと言って、ケアレスミスを見逃したり、大目に見て満点にするというわけにもいかない。提出してくれた生徒たちが、自身では気づけないミスを、発見し、適切に指導するのが私の役目だから、細心の注意を払って採点している。とは言え、数学や英語と違って、日本語は曖昧なニュアンスも汲み取らなければならない言語なので、他の教科と比べたら、正答の許容範囲は広いかもしれない。(特に自由記述問題は。)
 
 小さなミスであっても指摘し、減点しなければならない分、「ほめる」ことも忘れない。たとえ、白紙で提出されたとしても、提出してくれた努力をみとめ、ほめる。一番やる気が見られないと捉えられがちなのは、そもそも提出さえしようとしないことだから、たとえ問題を解けなかったとしても、提出してくれただけで、そこに生徒のやる気を感じ、しっかりほめるように心がけている。
 白紙と言っても、さんざん悩んだ挙句に結局、解けなかったと本気で努力した生徒もいれば、時間がなくて解こうとせず、正答を知りたくて早急に提出だけ済ませたという生徒もいるだろう。白紙の背景は人それぞれだから、一概に白紙が悪いとも言えず、白紙であっても、まずほめる。
 ほめることで、白紙で提出してしまって悪かったな、次回は少しでも書こうと思ってくれる生徒や、白紙でもみとめてくれる人がいるんだと気づき、学習に対するモチベーションを上げてくれる生徒が一人でも増えてくれればいいなと思いながら、取り組んでいる。
 
 「何で白紙なの?」とか「どうして解けなかったの?」と叱咤されるより、解けなかったことをみとめ、ゆるし、ほめた方が断然、好きでもない問題を解かされる側としては、救われるだろう。通信教育や塾では叱られることはまず少ないと思うが、家庭では特に親御さんはあまりやる気を感じられないお子さんに対して、厳しく咎めてしまう場合もあると思う。お子さんの成績が伸びてほしい、お子さんのためを思って叱咤してしまうこともあるかもしれないが、やる気を引き出し、成績アップさせるには、叱るより、ほめた方が断然伸びる。
 学習面そのものにプラスに作用するだけでなく、お子さんの性格や、自己との向き合い方もほめた方がより良い方向へ向かう。叱られた経験が多いと、自分はダメ人間なんだと自己否定に陥り、自己肯定感が養われないまま、大人になってしまう子もいる。そうなると、社会に出て仕事をしても、恋愛もしても、なかなか上手くいかず、すぐに挫折してしまい、新たな人間関係の構築や自分の人生そのものを諦めてしまうようになる。
 
 勉強を必死にするのは学生時代だけで、社会人の多くは学生時代に教科書で習ったことなんて、あまり活用しないまま、働いている。中学生の国語を見ている身として、あまり大きな声では言えないが、はっきり言って、別に漢字が分からなくても、文章を上手く書けなくても、数学や英語が分からなくても、それなりに生きてはいける。(特に、最近はスマホやパソコンで言葉は自動的に漢字変換されるし、ご丁寧に意味まで教えてくれたり、覚えずとも簡単に使えてしまう時代だから。とは言え、曲りなりにも国語に携わっている者の意見としては、ちゃんと言葉を身につけ、国語力を伸ばした方が自分の気持ちを容易に言語化でき、無意味な癇癪や暴力に走らなくて済むため、漢字を含めて多くの言葉を理解することは大事だと思う。言葉で相手に自分の気持ちを伝えるためにも文章力もないよりはあった方がいい。)
 
 だから学習するメリットが分からず、学力アップしなければならない意義も見出せないまま、ぼんやり勉強している生徒も少なくない気がする。そんな生徒には、勉強の内容より、勉強との向き合い方を覚えてほしいと思う。
テスト前など、日常生活でいろんなことをこなしつつ、少しでも効率良く、勉強するスキルを習得していた方が、学生時代が終わった後、社会に出てからも、そのスキルが役立つはずだから。自分のこと、家族(家庭)のことなどプライベートをこなしつつ、仕事をするには時間を効率的に使わなければいけないし、それぞれのことを要領良く行わなければ、とても間に合わない。限られた時間の中で、食事や睡眠をとる必要もあるし、24時間フルタイムで仕事をすることは不可能だから、生きる上で、時間配分が大切になる。
 
 つまり話は戻って、白紙で提出したとしても、時間がない中で、提出する時間を作ってくれたことは、ほめるに値する行為だと思う。他にどうしてもやるべきことや、優先しなければならないことがあって、その日の勉強がはかどらなかったのかもしれない。もしかしたらその日は困っている友だちを助けたり、一緒に悩んだり、結局遊んだりして、勉強が疎かになってしまったのかもしれないけれど、その分、人間関係は豊かになったはずだから、その日、お子さんが勉強以外で学んだこと、できたことなどを親御さんはみとめて、ほめてあげてもいいのではないかなと考える。ただやる気が起きなくて、ダラダラ過ごしてしまったとしても、長い人生、そんな一日があっても仕方ないとゆるし、明日は一緒にがんばろうと前向きに捉えてあげることが大切なのではないか。
 
 誰しも他人のまちがいや欠点はどうしても目につきやすいが、その人にはそれより多くの良さ、正しさ、魅力、長所があることを忘れてはいけない。もちろん、医療従事者など他者の命を預かる仕事をしている人たちは、些細なミスもゆるされないだろうが、他の職種で命に関わらない失敗やまちがいなら、大目に見て、ゆるし、みとめてあげることが必要だと思う。やみくもに怒鳴るよりも、これからはこうした方が良いとか、こうすればもっと良くなるよと伸びるポイントを教えてあげれば、その人はやる気をなくすことなく、もっと前向きに仕事に取り組めるようになると思う。
 
 「まちがいさがし」を生業としている私が仕事で心がけていることは、「まちがいをみとめ、ゆるし、ほめること」に尽きるのだが、長々と述べてきたように、これは学生の勉強に限らず、社会に出てからの仕事との向き合い方や、人としての生き方に活用・応用できると思う。仕事でできなかった部分、苦手なこと、自分自身の欠点や短所という「まちがい」をみつけ、そのまちがいからは目を背けず、でもそのまちがいは悪いことと落胆せず、まちがいの中には必ず良さもあるから、まちがいを指摘されたり、自分でみつけたら、みとめ、ゆるし、ほめてみたらどうだろうか。
 
 できなかったこと、まちがえてしまったことを嘆き、どうせ自分なんてと悲観ばかりするのではなく、みとめ、ゆるし、自分自身を鼓舞するようにほめれば、明日のより良い自分につなげることができる。
 まちがいを探そうともせず、それについて考えることさえ放棄したのでは、明るい未来が訪れるわけがない。自分では気づけなかったら、誰かにそのまちがいを教えてもらえばいい。まちがいさがしをすることこそ、学生なら学力アップの近道で、社会人なら仕事の効率アップにつながる。そしてまちがいに気づけた自分をほめ、まちがうことなく、正答を導き出せた際は、大いにほめよう。まちがえたとしても勉強や仕事に取り組んだという事実は誇りに思っていい。役に立たないと思えることでも、何でも取り組み続けることが、自分の人生を豊かにする手段のひとつだと思う。充実した人生を過ごせれば、ちゃんと自己肯定感も育まれる。生まれて良かったと思える人生にするためにも、まちがいさがしをして、ほめよう。
 
 あまりお金にはならない仕事で私が心がけていることは、「まちがいさがしをして、まちがいをみとめ、ゆるし、ほめること」だが、経済的には苦しくても、まちがいさがしという仕事のおかげで、寛容な考え方は身についた気がするから、まとまったお金にはならないという点はみとめ、ゆるし、その仕事を何とか続けている自分をほめようと思う。そして少子化の中、貴重な子どもたちが答案を提出し続けてくれていることに感謝したいし、毎日勉強がんばってえらいねとほめ続けようと思う。
 「正答を導き出せなくても、大丈夫だよ。まちがいや足りない部分を教える手助けをするから。そしたら自分の力で解ける日がくるから、自分を信じて。自分を信じる第一歩は、まちがいを知ることだよ。自分を信じられるようになるためにも、まちがいさがしから始めよう。」
なんて実際の答案には書くスペースはないから、ここで伝えてみた。
 
 まちがいさがしは自分を信じること、自信をもって生きることにもつながると信じている。

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