散文詩『カルトワルツ』2019.10.02



額に当てられた手のひらの温度を覚えている。うばうようであり与えるようでもある。少年の聖典はその中に書かれていた。棘を刺すように入ってくる思想のなかに<あこがれ>が含まれている。
滴るのは悲しみじゃない。溢れてしまっただけだ, 触れられた温もりを受け取りきれずに, 少年は頬を差し出す。目の前でチェスの駒が移動する。サイコロで目の移動を決めている, しかし必ず負けない。負けないように出来ているのがこの盤なのだから.
少年の頬が熱を持つのは何時も変わらないが、そのチェスの駒が落とされるのはいつものことでは無い。少年の見上げた先で立ち上がった<だれか>が見下ろしている。
「僕を見るのはだれですか」。少年の喉は焼けている, 少年の表現方法は零すのみ。三拍子で垂れる暑い日の頬をつたう,
熱された靴で焼き付けられた道を歩く。それよりは踊るほうが, たのしい。浮かべないよりは、笑みを浮かべたほうがいい. 神はいないより, そこにいるほうが, 寂しくないだけの話であって。救いを差し伸べるのは、手のひらに棘を持たない一人の青年で、チェスの駒を踊らせるのが苦手な、サイコロの目の通りに負けるだけの青年だ。
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「立って歩かなくてはならない」
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カルト的な発言だ, 少年は自嘲的な表情で俯く. 彼は少年に, 感情がないと思っている。額に刺される棘だけで動く少年を. 表情を変えられなくなったのはいつからだったか、と考える少年の口元が少しだけ上がっている。
どうして立って歩くのが正しいと思うのか ?
動物たちの鳴き声がする。目の前にあるのは息を吸わない肢体と転がったチェスの駒、期待に満ちた青年の無垢な声が落ちて割れる, 燃えるように透き通る彼の精神が、盤の上で、踊りたいと溢すように, 少年には聞こえた。
開かれた窓から、動物の鳴き声がする, まるでカルトだ. 生きるとは立って歩くだけか, 「自由を」と贈り物をするように囁く青年に、少年が, どんな存在に見えるのだろうか. 盤を踊る者だけに許された別世界への<あこがれ>, 知り得ない<だれか>,
それらが三拍子で、そこらで踊っているのだとすれば。



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