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マナカナ

「俺がカナだ!」
「いいや、俺がカナだ!」

あ、またこの記憶だ。
また、この記憶を思い出しちまった。

俺には小学生の頃、ライバルとも言えるとある親友がいた。

そう、俺とあいつは小学生にしてマナカナのガチめのファンだった。マナカナのガチめのファンなのは当時、小学生であることを差し引いてもかなり珍しかったと思う。

どっちが「真のカナ派」にふわさしいか、朝休みの20分の時間を毎日のように殴り合いの喧嘩に当てていたりして、同級生たちからは明らかに浮いていたと思う。
そして俺は、あいつには一度も勝てなかった。

お互いが「俺がカナ派を主張するのにふさわしい!」と譲らなかったが、
あいつの方が腕力があったから「俺がカナ派を名乗るのにふさわしいんじゃあ!」と言われながら俺はなすすべなく、頸動脈を空手チョップされ続けた。

そんな喧嘩の毎日も当時はムカついていたが、実は楽しかったんだと思う。
喧嘩は42日間続いた末に俺が根負けし、晴れてあいつは「カナ派」を名乗ることとなった。

俺はマナカナ両方とももちろん好きだが、僅差でカナの方が好きだった。でも喧嘩に負けたことで「マナ派」を公言する羽目になってしまった。

晴れてカナ派を名乗れることが決定し、周りからちやほやされているあいつを見て俺は「クソッ! マナで妥協しなきゃいけねぇのかよ…!」とつぶやいた。

そういや、それが原因で俺のことを好きだった子が好きな気持ちが冷めちまったってこともあったな。

ともあれ、その喧嘩を境に俺とあいつは無二の親友になった。

ある日のこと。
お互いの肘と肘を突き合わせることで遠目から見て「マナカナだと分かるタトゥー」をそれぞれの肘に彫った。

俺は右肘にマナの、あいつは左肘にカナのタトゥーを彫った。

クラスの皆には秘密にしていたが、あいつは俺にだけ「1週間後、転校する」と
伝えてきた。転校して離れ離れになってしまうのに俺はマナの、あいつはカナの
タトゥーを彫った。

ただ「カナ派を名乗る」という権利は譲ったが、タトゥーを彫るとなると話は別だ。

「ぜってぇカナの顔を肘に彫りてぇ…!」
あの時、そう強く思った記憶は今も残っている。

側から見たら顔の大差が全くないのにどっちがマナでどっちがカナのタトゥーを彫るかで言い争う時間が10分ほどあった。

カナの顔を彫るのを譲る気はなかったが、あいつがいきなり痛烈なボディーブローを俺のみぞおちにかますというシンプルな武力行使によって、奴はカナのタトゥーを掘る権利を得た。

俺はどうしてもカナが良かった。目の下にほくろがあるカナのタトゥーがどうしても掘りたかったのに………

ちなみに知らない人の為にマナカナの見分け方を教えておくとカナの左目の下にはほくろがあるので「ほくろかな?(カナ)」と覚えておくといい。

これは関根勤がいつだかの「関根優香の笑うお正月シリーズ」の中で言った発言だからまちがいねぇ。


タトゥーを入れてあいつが転校するまでの1週間。俺たちは毎日たっくさん遊んだ。

マナカナが出演していたNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』を見漁ったり、アニメのちびまる子ちゃんのエンディングテーマに起用された『じゃがバタコーンさん』をカラオケで歌ったり、街の壁にスプレー缶を使ってその歌の歌詞を書きまくったりもした。

あんだけ仲良かったのに転校して以降は連絡を取る事がパタリとなくなった。
あいつは今どうしてるんだろうか。今もちゃんとカナ派を貫いているんだろうか。
そして今も左肘にはカナの顔のタトゥーが入っているんだろうか。

深夜、2700の「右肘、左肘、交互に見て〜♪」のネタ動画を見ていたらそんなことをふと思い出した。

※もちろん全て架空の話です。

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