修羅場になりました
昨日は怒涛の1日だった。
朝の5時半ごろインターホンがなり、警官が立っていた。
「ご主人が酔っ払って道路で寝ています」と通報があったそう。
昨日、知らぬまに友人と飲みに行っていたらしい夫は、その後スナックに行って、帰りにスマホを落として帰ってきたらしい。
帰宅するなり布団の上で嘔吐。しかも「おい!」とか「水持ってこい!」とか叫んでいる。動画とっとけばよかったと今は思っている。
スマホを落としてきた夫
昼頃起きたら、いきなり謝罪。でもヘラヘラしてて全く悪びれた様子もないどころか、
「スマホ無くしたから電話したいからスマホかして」
「警察の電話番号調べて」
「タクシー代出すから取ってきて」
「取りに行くからバイクかして」
などなど、言いたい放題。
私はもう、別居も離婚も控えているし、あえて食ってかかって喧嘩腰になる必要はないと感じ、(その方がめんどくさい)かといって言いなりにはならず、
スマホは電話機能だけ貸してあげる、警察の番号は自分のタブレットで調べてもらう、取ってきては無理、バイク貸したら飲酒運転に加担したことになって私も捕まっちゃうから嫌。といった感じで回避。
しつこく言ってきたら「さっきの電話で充電切れちゃったから」と言った。
アドラー心理学を勉強していてよかったと思った。相手の責任は相手に取らせる。これはアルコール依存症のイネーブリングにも効果的だと思う。
その後夫はタブレットでスマホの位置を特定し、その場所へタクシーで向かった。
すると見知らぬ番号から着信があり、タクシー運転手の電話を借りている夫からだった。
財布を家に忘れてどうしようということだった。
一旦電話を切ると次も見知らぬ番号。夫のスマホを拾った人からだった。
「朝の散歩中に拾って、こちらで預かっている。仕事中だけど取りに来てくれるなら渡せるよ」と。
そこで夫にそのことを伝えて一件落着となるはずだったのだが・・・・・・・
私の実家に行った夫、母親と接触
財布を忘れて焦った夫は、タクシーでたまたま近くに来ていたので私の実家に行った。
そしてたまたま母親が玄関前にいて、スマホを無くして財布を家に忘れたことを告げた。
すると母親はなぜか夫とタクシーに乗り、私に電話をかけてきた。スマホを拾った人の名前を教えて欲しいとのこと。
この時点で私は半ギレ状態。
夫が母親を巻き込んだこと
そして、母親がなぜ一緒にタクシーに乗って行かなければならなかったのか
という2点。
母親とは2年前、夫がアルコール依存症のピークだった頃に大喧嘩している。もちろん最近までは仲も戻っていたが、
理由としては
私たちの夫婦問題に、母親が土足でズカズカ踏み込んできて、結局色々こじれておかしなことになってしまった。
踏み込まれやすい私と、踏み込みやすい母親がマッチした結果だった。
そして今回もそのことを恐れて、夫と母親が接触するのはなるべく避けたかったし、
それにしても、私が相当嫌がってブチギレたのにも関わらず、母親は夫の問題解決に踏み込んだ。
夫から「スマホ無事にありました」と連絡が来てから、なかなか家に帰宅しなかった。嫌な予感がし、電話すると、
「今あなたのお母さんとお話ししている」とのこと。
この時点で私はブチギレ。母親に電話し、
「何を二人で話す必要があるの?なんで呼び止めるの?」と言った。
母親は、「これから別居して(夫)に会えなくなっちゃうから最後のお別れを言いたかったんだよ」と言った。
分かり合えない母親との会話
それから夫は「ごめんなさい、すぐに帰ります」と連絡してきて、朝のヘラヘラした態度とは一転、酒も抜けてきてことの重大さがわかってきたのか、血の気の引いたような声だった。
その後、とにかく切れていた私は母親に電話した。約8分間の口論だった。
「なぜ夫を引き止めたの?何を二人で話す必要があったの?」
2年前、私たちの問題に踏み込んできてめちゃめちゃにしていった母親がフラッシュバックした。
母親は「たださよならを言いたかっただけだよ」「夫婦問題には踏み込んでないし」ということだった。
その後はお互い譲らず、
私は、「また2年前のように踏み込んでこようとしているのか!」と言い、
母親は「踏み込んだつもりはない」と言った。
2年前にあったこと
2年前の話を書かなければならない。
2年前夫のアルコール依存症がピークで、ちょこちょこ母親に話してしまっていた私は、つい母親を家に招き入れてしまう。
その時の母親は、全く私の気持ちも考えずに、
「言い方が悪いからアルコールやめないんじゃないの?」みたいな言い方をし、「どうして飲んじゃうのかな?」みたいなことを夫に尋問していった。
母親は年末になると仕事上ストレスを溜めるので、明らかにそのストレス発散がしたいために、人を尋問したいという欲求が勝ったような雰囲気だった。
私は当時アルコール依存症のこともひたすらネットで調べていたし、心理学の資格も取っていた。
「なんで飲むの?」と言う問いなんて10000回くらいした。
私が夫に聞いてきたことを母親が目の前でまた一から始めた時、自分の中のプライドがズタズタになったように感じた。
私が今までやってきたことを全て否定されたように感じたからだ。
流石に黙っていられず、「そんなこともうとっくに聞いてきたし、今更なんなんだ」と言うようなことを言ったら、
「なんでそういうキツイ言い方するの?だから飲んじゃうじゃないの?」みたいなことを言われた気がする。
この一言が本当に傷ついた。その後とにかく切れたと思う。母親と言い合いになった。もはや夫は蚊帳の外でポカーンとしていた。
そして母親は言いたいことを言いまくり、「みんな仲良くしていてほしい」と言うようなことを言い、「夫ともそうだし、あなたの姉とあなたも仲良くしていてほしいの!!!」と言った。
当時姉とは絶交手前の仲だった。
あまりに話の脈略がなく、結局「私のお願いなの!」と言うような母親の押し付けに我慢できなくて、言葉が全く出なかった私を、母親は大泣きしながら海外ドラマの外人みたいに私を抱きしめた。
「ここまで他人の気持ちがわからない人っているんだな」「ここまで自分の気持ちだけを押し付けられる人っているんだな」と、私は不快感で泣いた。
その涙が、母親にとっては「感動の涙」だと勘違いされたようだった。
夫に尋問して、私に「みんな仲良く」を押し付けて感動の涙を出させて満足した母親はそのまま私の家で勝手に(頼んでもいないのに)冷蔵庫を漁り、料理をし始めた。
また私は我慢してしまった。料理したら帰ると思ったからである。ところが母親は帰ろうとせず、あろうことか泊まっていくそぶりを見せ始めた。
イラつきMAXになった私は家を出て40分くらい外を歩いた。帰宅したらまだ母親がいたので、爆発した。
早く帰れ!なんでいるんだよ!料理だって頼んでない!自分のやりたい欲求を発散するために私たち夫婦を使うな!
と言うようなことを言い、家の中は地獄絵図になった。
壁に張り付いたハンバーグ、スマホの上にびちゃびちゃに溢れたミルクティー
私は全てを破壊した。
私の気持ち
スマホを回収して帰宅した夫は、血相を変えて私に謝罪してきた。もう朝のようなヘラヘラ感はなく小刻みに震えている。
事の発端は自分が原因だ、ということ
そしてタクシーに母親を乗らせたのは自分だということ
夫が実家に寄ったのは嫌だったが、ひとまず母親のことについてぶちまけたかったので夫に聞いてもらった。
母親は、「お別れを言って何が悪いの!私はこういう性格なの!」と言っていた。
母親がお別れとして夫を引き止めたことについて、それは世間的に見て決しておかしなことではなかったはずだが、2年前のことが自分の心の中で引っ掛かっていたから、二人で接触してほしくなかった。
母親はそうできたはずだ。タクシーに乗り込まなくたって、私に電話をしてスマホを預かっている人の名前だけ聞けばよかったはずだ。
何が正しいか悪いかじゃなくて、
私は、母親が、私の希望よりも、自分の気持ちを優先させたことが許せなかった。
何が正しいかでジャッジされるのなら、母親が夫にお別れをいうことについて何も間違っていないだろう。言い換えればそれを阻害する私の方が間違っているのだろう。
でも、そこに私の気持ちを挟むことはいけないのだろうか?
私は2年前のことがあったから、警戒して不安になってしまっていたんだよ。
「また何かこじれたら嫌だな」って。
でも「夫婦の関係には踏み込んでないし」「こういう性格だから」「言いたいことは言いたい」と、正しいことは言って当然だ、何が悪いみたいに開き直って責められた。
私は姉との関係もとやかく言われたくなかった。「仲良くしなさい」と言われたら逆に仲良くしたくなくなるのが人間だろう。言ってくれない方がよっぽど仲良くできたかもしれないのに。
母親は「言わない」「黙っておく」という選択肢を私のために選んでくれなかった。
そのことを言うと、「そんなの言ってくれなきゃわからない」と言った。
2年前私が全て破壊尽くしても、何も届いてなかったんだな。
母親への幻想
私は母親に幻想を抱きすぎていたのかもしれない。
最近「タフラブ」と言う本を読み、うつ病の人との家族の関わり方のエピソードを読んで思ったことがある。
「48%の協力」と言う目次で、引きこもりの息子さんに悩む夫婦の話だ。
ほとんどの親が責めたり、良かれと思ってアドバイスしたり、「散歩でもいってみる?」などと対処する。
しかしこの本では、責める、アドバイス、「〜〜してみない?」と言う対処は全てNGと書かれている。
家の中で出会したら挨拶するだけ。
夫婦はそれぞれ自分の生活をする。
子が困ったことがあって相談してくれば応じる。
子が歩み寄ってきても喜ばない、普通にする。
と書かれている。
ここで大事なのは「親の意見を押し付ける」でもなく、ただひたすら見守ること。それがタフラブなのだと著者は言う。
とのことだ。
私は別居とか離婚で心がすり減ってきた。もちろんそれに至った原因の夫のアルコール依存症の問題や、躁鬱のトラブル。
過去に書いた記事(万引き事件やお漏らし事件)を読んでもらえたら分かると思う。
だから心の奥のどこかで、母親に、私を一番に考えて欲しかった。
「踏み込まないけど見守るからね」と。
「私はこう言う性格なの!言いたいことは言って何が悪いの!」と言う押し付けは、今の私にはとても負担だった。
「2年前あんなことがあったし、今あの子は別居も離婚も控えている。(夫)さんに声をかけたい気持ちはあるけれど、グッと堪えて、ここはあの子が不快にならないような選択をしよう」
と言う、そんな望みを、幻想を、母親に抱いていたのかもしれない。
2年前もそうだった。私はまもなく別居や離婚の危機に追われていた。すごく心身ともにすり減っていた。
そこへ母親がズカズカと踏み込んできて、母親がやりたいこと(夫への説教、料理、姉と仲良くしろと私に言うこと)など全てぶちまけた。
それは問題解決なんかじゃ決してなく、当時の私をドッと追い詰めた出来事にしかすぎなかった。
母親の話を聞いていると、自分が悪いのかも、おかしいのかもという気持ちになってくる。
人がやりたいことをやって、言いたいことを言って、別におかしくはないはずだ。
しかしそこにないのは、「私」がどう感じたか、という思いなのではないか?
私の心は鋼なんかじゃない。
別居や離婚、その後の人生を考えるととても不安だ。
そこに母親は、なんの遠慮もなく、言いたいことを言ってやりたいようにやる。
そんな母親を止めることはできない。
しかし、離れることはできる。
結局のところ夫も母親の問題も、似たようなところがあって、他人を変えようとするのではなく、自分から変わっていけばいい。
アドラー心理学の課題の分離を勉強していて本当に良かったと思う。
それから、「踏み込まれない」スキルを磨くことも大事だ。
母親と口論になると言うことはまだ私の中に課題が残っているような気がする。
伝え方は「怒る」じゃなくても良かったはずだし、
それに、「いつか分かり合える」ではなく、
「一生分かり合えない」けれど、分かり合えない同士なりのコミュニケーションの仕方だって絶対あるはずだと思った。
タフラブ
自分の主張を控えることが「タフラブ」ということで、この件は色々な問題に応用できると感じる。
人は何かしたがる。困った人がいたら助けてあげたくなる。
しかし、やってあげる、言ってあげる、というプラスのアクションだけが助けるための行動ではないはず。
時には「やってあげない」「言ってあげない」という我慢の配慮が必要だったりする。
押してダメなら引いてみろというが、その通りだと思う。
「あなたのためにやってあげるの」「私は言いたいことを言う性格なの」と主張する母親と、
「あなたのためだからこそ言わない」を(タフラブという本で)学び、「言わない、やらないという配慮をしてほしい」という私とでは、全く噛み合わない次元にいた。
タフラブはアルコール依存症のエピソードもあるし、読んでよかった本なんでおすすめしておく。(男性disでフェミニズム的な項目も多かったけれど💦)
18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。