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日本の子どもたちがプログラミングより先に学ぶべきこと


来年からプログラミングの授業が小学校で必修となる。(もうそんな時代…)


私はエンタメ企業で働いているが、新規事業を進める上で、最近プログラミング教育の現状を調査したり、目にする機会が多くなってきた。

今回はその中で、どうしても気になってしまったり、疑問に感じる部分、モヤモヤすることをあらためて言葉にしてみようと思う。

少し長いですが、どうかお付き合いください~


まずは前提から~


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‐ 前提 -

「STEM」という言葉を知ってますか?
プログラミング必修化の背景にあるのは、実はこの「STEM」と呼ばれる教育方針。

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STEMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の単語の頭文字をとった言葉で、この4つの学問の教育に力を注ぐことを指す。


オバマ前大統領が2009年の就任時に「We‘ll restore science to its rightful place(科学を本来あるべき地位に戻す)」と演説したことがキッカケで世界に広がった。

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当時、オバマ前大統領が掲げた目標は以下の4つ。

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具体的な数値があって分かりやすい目標。この目標のために年間30億ドルもの予算が投じられている。人種や男女での教育格差をなくし、科学技術やテクノロジーの分野で競争力を高めることが目的。全ては国力の向上のため、ザ・アメリカ!!勢いを感じます。(ちなみにトランプ大統領はSTEMにそこまで興味がない模様)


こうして始まったSTEM教育は、その後、世界へと広まり、10年以上の遅れをとりながら日本も導入する流れへ。それが来年のプログラミング必修化なのです。なるほど~!


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‐ 日本のSTEMの捉え方 -


日本に導入するにあたって、STEMは「プログラミング的思考」という言葉を使って表現されました。簡単に言うと、実用的なコーディング等のスキルを学ぶわけではなく、プログラミングの基礎となる論理的な考え方を身に付けようというもの。

文部科学省の定義「プログラミング的思考」
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力


もう少し詳しく言うと、プログラミングを書く具体的な知識ではなく、その中身、考え方が重要。つまり、ものごとの順序や条件分岐などをフローチャートを使って考えようというものです。


フローチャートってこんなやつ!

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「プログラミング的思考を授業に取り入れることで、新しいものをつくりだせる高い創造性を持った人を育てる」
それが文部科学省の目指すところです。

ちなみに2030年には、IT人材が約59万人も不足すると言われています。ということで、プログラミング必修化はこの課題に対するアプローチでもあるわけです。

なるほど!
何か良いこと言ってる気がする。頑張れ!
そんな感じにも思えますよね。

確かに、私も中身(プログラミング的思考)に焦点を当てたのは良いなと感じます。

ただ、ただですよ!!

少し抽象的だと思いませんか?具体的にどうなっていくんだろうということが、まだピンと来ないです。

実際「STEM」は広い解釈で捉えられていますが、様々な文献からの引用してまとめると、こんな感じで書かれています。

STEMとは、単に「科学技術」や「IT技術」に秀でた人材を生み出すということだけではなく「自分で学び、自分で理解していくこと」すなわち「自発性」「創造性」「判断力」「問題解決力」などの能力を高めていくもの


なるほど、STEMってすごい。最強だ。まあ綺麗ごとにも思えますが、実現はともかく、目指す教育方針ということでは素晴らしいと思います。これからの子どもたちに、ぜひ受けさせたい教育です。


ただ、それゆえ、文部科学省が提示した「プログラミング的思考」が急に頼りなく感じませんか? 確かに要素としては含まれているけれど、大切なものが随分抜けている気がするのは、私だけではないはずです。



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‐ 教育現場への落とし込み -

と、色々と言い過ぎたのですが、ここには理由がありまして。実際に文部科学省が掲げた「プログラミング的思考を取り入れた授業」は、実は不安なことが山積みなんです。

では、少しその話を。


プログラミングの授業が必修化… なるほど、新しく「プログラミング」という授業が増えるのか。大変そうだな。

そう誤解されている方も多そうですが、


実際はプログラミングをメインとしたカリキュラムが組まれるわけではなく、あくまで既存の国語、算数、理科、社会、体育、家庭科、図工などの基本科目に「プログラミング的思考」の要素が加えられる形式なんです。

あ、そうなんだ、
どうやってやるんだろう。

そう思いますよね。そこです。そこが一番問題なのですが、実はその手段はまだ特に明示されていないんです。「STEM教育だ!よし、プログラミング的思考でいこう!ということで授業に取り入れてね!じゃあ、よろしく!」という感じで、その先は各学校がある程度工夫して入れ込んでいかなければならない状況になっています。えっ?マジで!大丈夫なの?


と、そんな感じで不安が募っていたところに、なんとプログラミング教育を先行して取り入れている小学校の公開授業の話が。実情を知るべく行くしかない!(仕事でもあるし)


ということで、見学してきました!

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授業内容としては以下の通り。

国語(+総合):キーボード入力とローマ字を組み合わせて学ぶ
体育:動物の動きを部位ごとに監察し、組み合わせて真似をする
家庭科:調理の手順を1つ1つ分割し、並び替えて正しい手順を考える
図工:色の重ね方をフローチャートを使って理解する
総合:ロボットの動きをプログラミングし、センサーを使って動かす
総合:地域の魅力を発信するプレゼン資料をロジカルに組み立てる

生徒全員分の電子デバイスはないので、付箋を張り替えたり、カードを並び替えたりしてフローチャートを組み立てるアナログ形式での授業もありました。

確かに多少の納得感はあるのですが、正直なところ、やはり無理やりに思える部分があったことは否めません。現場としても、それは認識しているようで、補足として「新しく何かを加える訳ではなく、あくまで今までの学習をプログラミング的思考に当てはめています」と説明がありました。


ただ、それを聞いて私としては「誰のために、何が変わったのか」が全くもって分からなくなったのが本音です。「プログラミング的思考」という言葉が掲げられる前にも、順序立ててロジカルに考えることは当たり前にやってきたはずで、今さらそれは強調する程のことなのだろうか?同じ商品をシールを張り替えて出荷するような、そんなイメージを抱きました。


本来、目的であるはずの「創造性の育成」「ITリテラシーの強化」が改善されないまま、「プログラミング的思考を取り入れる」が目的にすり替わっている!犯人はお前だ!見えないふりしてるだけで、みんな気付いてるんだぞ!(重くなってきたので急にポップ)


もちろん、これには複合的な原因があるのは分かってます。ただ教科書通りの枠にはまった日本教育の根深さを身を以って感じた瞬間でした。硬すぎる~~


日本のSTEM教育の課題まとめ
・定められた手段はなく、授業形態は教師に一任されている。そのため教師の熱量や技量によって授業クオリティの差が激しい。また教師の業務量は既に多く余裕はない。
・予算が不足している地域ではタブレットなどのデバイス導入がそもそも出来ない。
・学校教育である以上、点数で評価する必要があり、1人1人の個性を受け入れる環境が整っていない。
・既存教科の時間で授業は殆ど埋まっており、それ以外の時間の確保が難しい。



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- 時代の流れと身につく力 -


立ち返って、

「自分で学び、自分で理解していくこと」すなわち「自発性」「創造性」「判断力」「問題解決力」などの能力を高める。

これが重要であることは間違いないと思います。ただ、それが「デジタル」のみで担保できるかと言うと、それは大きな間違いだと思います。「新たなものを生み出し未来を切り開くため」には、不明瞭なことや理不尽なことを受け入れる必要があって、それは「生もの」でしか感じられないからです。その点においては、昔の子どもたちの方がよっぽど受け入れる度量は大きかったように思います。


まず、時代の流れに即して比較してみました!

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この図を見て分かるように、昔は自然と共に遊ぶ中で、思い通りにいかないこと(人間の想定を超えるもの)による学びがありました。当然、理不尽なことも、効率が悪いことも多いので、必然的にそれを受け入れる力が付いていきました。


一方、今はデジタルで制御できることが多く、比較的効率よくトライ&エラーを繰り返せるので、理解スピードは非常に速いと思います。ただその反面、人間が制御したもの以外を受け入れる力は非常に弱まっています。


一言で、まとめると

昔:凸凹のある壁で壁打ち (自然)
今:整備された壁で壁打ち (デジタル)

どちらもメリット・デメリットがあって重要な訓練になります。時には泥んこにならないとね。


次に「新たなものを生み出し未来を切り開くため」に必要な力を整理してみました。大きく分けると2つの力になります。

A:未知なものを果敢に取り入れ、受け入れていく力
B:既知なものを整理し、未知なものに法則性を見出していく力

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この2つの力が合わさることで、初めて「新しいものをつくりだせる高い創造性」が築けるように思います。

ここで、Bの力は「デジタル」を使うことで確かに効率が上がると思います。デジタルの恩恵は計り知れません。人間の活動を全面的にバックアップしてくれます。

ただ一方で、Aの力に関しては「自然」との関わりなくしては身につかないと思います。人間が作り上げた世界に収まる話ではないからです。お主、全て理解したと思うでないぞ。(重くなってきたのでまたまたポップに)


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- 日本の子どもたちに今、必要なもの -


「自然との関わり」は、実際に自然の中で遊ぶことだけを意味しているわけではないです。それは「生ものとの関わり」、たとえば、動物を飼って世話をする、地元の祭りに参加する、友だちと喧嘩するといった、ごく普通のことも含んでいます。

海外旅行の場合でも、補正された綺麗な観光地にばかり訪れるわけではなく、まだ手付かずの土地に足を踏み入れたり、現地の人の暮らしに触れて異文化を感じるというのも1つです。

そんな当たり前だと思っていたことが、
ここ最近は徐々に無くなってきている。

それは時代の流れからも、変えられないことかもしれません。全てが悪いことではないのも分かります。


ただ、もし教育的観点から唯一入り込めるものがあるとするならば、それは「ART(芸術)」なのではと思うわけです。


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実は「STEM」の他に「STEAM」という言葉があります。これは「STEM」に「ART(芸術)」を加えた教育方針です。海外では特に北欧諸国が、この教育方針に力を入れていて、芸術鑑賞やディスカッションを中心とした授業を実施しています。

ちなみに、スウェーデンのギャラリーにはモダンアートが非常に多く、国民の目が肥えていることが覗えます。モダンアートを堪能できる国民性ってインテリジェンスで羨ましい~!

そういった背景からも子どもたち1人1人の個性を受け入れる教育環境が整っていて、教育と言えば北欧と言われるぐらい、見習うところが多いのは有名な話です。最近よく話題になりますね。

つまり、何が言いたいかと言うと「芸術はまさに生もの」
そこには正解がありません。ただ受け入れて、捉えていく必要があるんです。絵画でも音楽でも演劇でもジャンルは問わないです。芸術から学べることは山ほどあるはずです。

「デジタル」を拡張する以前に「ART(芸術)」が全く足りてない。

本来、子どもたちの周りにあった自然的要素が失われつつある今、その補完を「ART(芸術)」で担うことが最優先ではないでしょうか。


時代の流れの中で「デジタル」だけで知ったような気になってしまう子どもたちが最も恐ろしいと感じます。少し厳しく言うと、中途半端なSTEM教育は、寧ろそれを加速させる危険性すらあるのではと懸念しています。フローチャートで認識できないものは全て無視する、そんな未来は世も末です。


立て続けにまじめなことを書きましたが、割と本気で原点を振り返るタイミングが来ていると思います。身の回りに「自然」は溢れていて、予算をかけずとも、身近なところに出来ることは転がってます。

最後に、子どもたちは、生まれながらにそれを受け入れるキャパシティーが備わっていると思います。捉え切れていない、怖がっているのは、固まってしまった私たち日本の大人なのではないでしょうか。

大人、頑張りましょう!


長かったけど、今日は以上です!
読んでいただきありがとうございます。
書きすぎた!






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