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文学の森殺人事件 第一話

 私が西園寺一と出会ったのは、数年前に「西園寺探偵事務所」の求人広告を手に取り、能力を認められ、採用されたからだ。しばらくして彼の右腕として一緒に行動を共にして、その度に彼に尊敬の念を抱いた。とはいえ、アメリカ人の私に一から(来日した当時はほとんど日本語を喋れなかった)日本語をレクチャーし、日本の魅力に改めて気付かせてくれた彼には感謝の言葉しかない。
 私が事件に遭遇する前に趣味である読書が思わぬ形で、殺人に発展していくとは想像だにしなかった。
 はじまりは何気ない談話からだった。
「西園寺さんは推理小説は読まれませんよね?」と私は言った。
「アンソニー・ホロヴィッツは素晴らしい作家だと思う」
「日本の作家では?」
 西園寺は首を傾げた。私は日本のミステリー小説についてプレゼンテーションを始めた。彼に日本のミステリー小説に興味を持って欲しかった。ノートパソコンを開いて、ミステリー作家の二階堂ゆみの経歴をウィキペディアに表示すると、多数の言語で翻訳されていた。私は西園寺に二階堂ゆみを紹介した。しかし彼はとぼけた顔をして、
「誰ですかね、その二階堂ふみと言う人物は?」と女優の二階堂ふみと間違えたので思わず笑みをこぼした。

 彼の天然ぶりには時々笑いを誘われるのだが、自分が天然だと言うことは気付いていないらしい。あるいは全く気付いていないと言った方が正解なのかもしれない。彼は自らコーヒー豆を五〇粒数えて淹れたのだが、そのエピソードから分かる通り、とても几帳面な性格をしていた。私は彼女が開催している『文学の森』講座のホームページを見せて、彼に意見を求めた。
「確か君は若い時から作家に憧れていたね」
「はい」私は言った。「西園寺さんも参加しませんか?」
「うむ」西園寺は言った。
「あまり気が進まないですか?」
「いや、君が言うならいいだろう」 

 二階堂ゆみが主宰している『文学の森』講座は、本の魅力について知ってほしいという彼女の想いと、主催者の赤羽雄一氏の提案で実現した歴史あるワークショップだ。彼女は本業とは別に作家志望者に向けて小説を教えていた。
 アメリカ人の私の目から見ても、二階堂ゆみの文章は完璧だった。完璧は言い過ぎかもしれないが、国際的に通用する稀有な推理作家だった。アガサ・クリスティを彷彿とさせる生き生きとした人物描写と、ジョン・ディクソン・カーを思わせる繊細な感覚。エラリー・クイーンのような、力強い豊かなディティール。彼女の書く小説には色がある。私も彼女のような作家になりたかった。だが、西園寺は日本人なのに日本の作家を知らない上に、下に見る傾向が強かった。私はそれが不満だった。あるいは興味がないのに不満を感じていた。私は単純に二階堂ゆみと言う特別な才能を持つ作家について、興味を持ってほしかったのだ。
「西園寺さんは二階堂先生とは同郷でしたよね?」と私は言った。「彼女は北海道出身なので」

「ああ」西園寺は言った。「私は長野生まれ、東京育ちだが、ルーツは北海道だ。両親ともに北海道旭川市出身なので、本籍は旭川市となっている。しかし、君は彼女の小説をそんなに気に入っているのか。こんないい天気にはフィクションとは言え殺人など起こるはずがないと思うがね」
 私は西園寺探偵事務所のカーテンを開けた。今日は気持ちが良いぐらい晴れていて、カーテンの隙間からあまく光が差している。
「それは分かりませんよ」
 そう指摘したのは秘書の橘小豆だった。
「朝早くから仕事して貰って悪いね、小豆ちゃん」と西園寺一は言った。
「仕事がいっぱい溜まってますからね。それより代表こそ朝の七時までぶっ続けで起きていて寝不足ではないのですか?」

「スコット君にも言われたよ。あなたはプライベートと仕事を両立できない仕事人間だとね」と西園寺は言った。そして暖かい日差しを浴びながら、グーッと背伸びをした。「もっとも私の目から見たらスコット君の方が、日本人より日本人らしいがね」
「日本の文化が大好きですからね」と私は言った。
「コーヒーを持ってきますね。それと小豆ちゃんはやめて下さい。私だって橘小豆と言う立派な名前があるのですから、小豆ちゃんではなくて、小豆で構いません」
 西園寺一は黙って肯いた。

 橘小豆は言った。「ところで西園寺さんインドに旅行されていましたよね。インドはどうでしたか?」
「虫が多かったね」と西園寺は言った。
「西園寺さん、私が趣味で小説を書いていることは知っていますよね。実は既に『文学の森』講座に応募していたんです。そして私の元に『文学の森』講座に参加出来る手紙がきました。宜しければ一緒に行きませんか? 私と違って西園寺さんには第六感があるみたいですからね」私は西園寺一の気分を乗せるように言った。「仕事とプライベートを両立できる男ほど充実した生活を送れるって言いますしね!」
「スコット・ジェファーソン、君の日本語は相変わらず上手いね」
 これはOKのサインなのか、西園寺はあっという間に乗り気になった。
「アメリカの片田舎ネブラスカ州から来日して、日本語を一から覚えるのは容易なことではなかったです」と私は言った。「西園寺さんにはいつも感謝していますよ」
「確かにスコットさんの日本語の上達ぶりには驚くべきものがあります」と橘小豆は言った。「手紙もすらすら書いてますしね。とても優秀な方です」
 西園寺一は運ばれてきた、ブラックコーヒーを飲んだ。
「インドに面白い諺がある。『おしゃべりは友と敵を作る』どういう意味か分かるかい?」

  橘小豆は首を横に振った。
「単純におしゃべりをする人間は敵を作りやすいという意味だ」
「犯人が思わず漏らすケースでもありますかね?」
「言葉は時に自らを殺めるナイフでもある」と西園寺一は言った。「ところでスコット君は、殺人現場に遭遇した時に犯人を見破る方法を知っているか?」
「相手の話や素振り、感情を的確に突き詰める」
「全てお見通しのようだね」
 西園寺一は肘掛け椅子から降りると、無精ひげが生えていないか応接室に移動して姿見で顔を確認した。西園寺はとても整った顔立ちをしていた。身長は一六〇cmとかなり低いのだが、もう少し背が高かったら二枚目俳優としても通用していただろう。それぐらい整った顔立ちをしていた。今年の九月一三日で三七歳になろうとしていた。紳士らしい身なりをしていて、ほぼ完璧なルックスをしていた。卵型のシャープな輪郭と、大きな瞳と抜けている性格は、常人には持ち得ないだろう。黒のスーツにエナメルのブーツを履いていた。
 彼は「第六感」が働き始めると、どんな難事件でも解決できると自認していた。また広い心を持っていて、人の悪口は好んで口にはしない(正義感はあるが、捜査上他人を傷つけてしまうことはある)その証拠に彼を嫌う人はほとんどいない。
 探偵になる前は東京都暁市で商社マンをしながら、充実した暮らしを送っていた。しかし、彼の人生で初めに経験したのは豊かな自然と触れ合うことだった。なぜなら、西園寺の生まれ故郷の長野県安曇野市は山や田畑がたくさんある、緑豊かな場所だったからだ。けれども、彼が八歳の時に家族と一緒に上京すると、東京人になった。 

 東京都暁市に「西園寺探偵事務所」を立ち上げたのは三〇歳の時だ。六年の月日が経っていた。西園寺は数々の難事件を解決へと導いた経験から警察とも顔なじみとなり、はじめに秘書の橘小豆が入った。その四年後に私と出会った。彼は日本語を独学で学んでいた私に丁寧に教えてくれた。すっかり、彼の魅力に取りつかれて一緒に仕事をするまでになった。
「スコットさん、眠くはありませんか?」橘小豆は訊いた。
「いや、大丈夫です」
「スコットさんも朝方まで仕事してましたからね。でも西園寺さんがインドに行ってから、どこか寂しそうでした」と橘小豆は言った。
「彼とは話し足りないよ。それに日本のミステリーと読書好きの人たちと話すのも悪くない」西園寺は言った。どうやら西園寺はこのことを心に留めてくれているらしい。
「興味を持たれたのですね」と私は言った。
「君がそこまで一人の作家に熱を上げるのは珍しいからね」
「私は本についてはさっぱりなんです」と橘小豆は言った。「だから『文学の森』講座に行ったらスコットさんが、生き生きとして充実した生活を送れるかもしれないと思うと微笑ましいです」
「生き生きとした生活ね」と西園寺一は言った。「ところで文学の森はどこで開催してるのかな?」

「渋谷です」
「直ぐ近くだ」と西園寺一は言った。「私は感心している。君が小説を書いているのも。しかも日本語で書いていることにもね」
「あなたが丁寧に日本語を教えてくれたお陰ですよ」
「君のために一肌脱ごう」西園寺一は言った。
 そして、二人は渋谷で開催される『文学の森』講座に参加することになった。

 

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