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人が離れていくのが、怖い。

Facebookに、「3年前の投稿」が上がってきた。3年前の自分が書いた投稿だ。そこに、当時よく関わっていたAさんのコメントがあった。

そういえばAさん元気かなと思ってプロフィール写真をクリックする。
リンク切れ。何も表示されない。

あれ、Facebookやめたのかな?と気になってググってみた。ググってみると、たしかにAさんのFacebookはある。最近も投稿されている。
私のFacebookからだと見えないのだ。

きっと、ブロックされている。

「あなたの投稿を見ていると、自分のことがいやになる」


Aさんは、当時、どこかの講座で知り合って、はじめは、私がAさんのサービスを受ける側だった。そのあと、いろいろあって、私から仕事を発注することにもなった。3年前は、毎日のようにネット上でやりとりをしていた。実際に会ったことも何度もある。

頻繁に会っていた時期が過ぎ、私がAさんのサービスを受けることもなくなった後、FacebookやインスタでAさんを見かけることがなくなった。
共通の知り合いの人から、「Aさんが、さわらぎさんの投稿を見るのが嫌って言っていたよ〜」と軽く言われたことがある。「なんか、見ていたら、昔は同じような講座に通ったりしていたのに、差がついた感じがして嫌。見たくないから見ないようにしている」みたいなことを言われた。

(べつにそれ、私に教えてくれなくていいのになー)と思いながら、心のどこかで傷ついた。たぶんそれは2年ぐらい前のこと。
そのことも、もう忘れていた。だから無邪気に、Aさん元気かなーなんて思ってググったりしたんだ。ばかだな。


発信することで、人が離れていくのが怖い。


発信をしていると、知り合う人が増える。自分で仕事をしていると、お客様になってくれる人が増える。

一方で、

元々知り合いだった人から何かを言われたり、人が離れていくように感じることがある。

「あの人にどう思われるだろう」と考えだすと動けなくなったり、実際に、交流がなくなっていく人もいたりする。

でも、よくよく考えてみると、
自分という一人の人間が、深く関われる人数には限りがある。

大切な人が増える一方で、つながりが薄くなる人がいるのは、自然なことだ。

「あなたの発信を見ると、何もできていない自分がつらくなるから、もう見ないことにする」

と言われたことは、Aさん以外にもある。

それはとても悲しいけれど、相手の気持ちを、心をこちらがコントロールすることはできない。


これからもずっと大切にしたい関係の人であれば、自分の気持ちを直接伝えることも大事かもしれないが、それでもどうしようもないことだってある。(きっと、こういう気持ちをぶつけられた時に、何をどう伝えたって、相手には届かない)。

とくにこれからも大事にしたい関係性ではないと感じているなら、

その人との関係に固執することはない。

と思うのは冷たいのだろうか。


自分の発信に対して、相手がどう受け取るかは自由。


自分の発信に対して、相手が、何を感じるかは自由。

相手も自由で、私も自由。

もちろん、できる限り、自分の発信する内容や書き方で、人を傷つけることがないか、人がこれを見てどう思うかを配慮することは必要だと思う。

(以前の私は、わざと、嫌な書き方をしていた時もある。それはもうやらないと決めている)

同じ内容でも書き方で、読み手の印象は変わる。

だけど、

それでも、

人の気持ちまではコントロールできない。

誰かの気持ちを、縛り付けることなんて、できない。

自分の価値を発信することで、ゼロから仕事を作っていける。


自分の価値を、思いを、相手が知りたいことに変換することで、
自分だけの仕事を作っていきたい方へ。


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