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道がなければ、つくればいい。子ども3人とつくってきた「私の働き方」。


10年前。長男が1歳半の時に会社をクビ同然でやめた。1年間の育休をとって復帰した後、会社に通えなくなってしまったためだ。

会社を辞めたけど、仕事はやめたくない。

そこからどうやって自分で仕事をつくってきたか。

今、10年前に描いた理想よりも「少し先」に来た実感があるので、この10年間でやったことと当時の気持ちを振り返ってみたい。

子育てと仕事の両立に悩む方や、独立して仕事がしたいと思う方の参考になればいいなと思う。


Blue Greyscale Photo Swimming Quote UAAP_NCAA Twitter Postのコピーのコピー (47)

10年前に描いた夢は、今、全て叶っている


10年前、コピーライターとして勤めていた広告制作会社を辞めた。育休復帰後、会社に自分の居場所がなくなったと感じ、上司や社長とうまくいかなかくなったのだ。復帰後、2カ月ほどたって、会社に行くのが苦しくなった。

毎朝、泣き叫ぶ長男を引きはがすようにして保育園に預けた後、全速で自転車をこぎ、電車に飛び乗る生活。泣く子を預けて会社に行くのに、会社についてもやることがない。私、いったい何をしているんだろう。

会社の最寄り駅の改札を出ると、足がすくんで動けなくなった。10分ぐらい駅前でしゃがみこんだ後、なんとか会社に行っていた。でも、それも半年も持たなかった。

会社を辞めたけれど、どうしても仕事はやめたくなかった。

会社員時代にやっていたクライアントの仕事を引き継ぐのはタブーだったので、仕事の見込みはゼロ。何をやろうか?

コピーライターとしてしか働いたことのなかった私は、ほかにできることがある気がしなかった。1歳半の息子を抱えて、再就職も難しい。

そのころFacebookで知り合った同じ市に住む女性に誘われて、市が主催する「起業・創業セミナー」に参加した。

そこで、「未来の自分のビジョンマップ」をつくった。写真を切り抜いてボードに貼っていくやつだ。写真は残っていないが、どんな写真を貼っていたかは覚えている。

● 100名規模の人の前で講演をしている
● 自分の名前で出した本が書店に平積みされている

何をテーマに講演をするのか?どんな本を出すのか?そんなことは全く考えていなかったが、何の根拠もなく、自分はコレができるような気がしていた。

そして、10年後、どちらも叶っている。

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ブログとFacebookで、ゼロから仕事をつくってきた


仕事ゼロの時点で、当時私がやったのが、Facebookとブログでの発信だ。といっても、ブログで稼ごうとは思っていなかったアフリエイトやアドセンスは一度もやっていない。

ブログで稼ぐのではなく、「ブログで私を知ってもらい仕事に繋げたい」と思った。

当時、自分の興味のあることが、子育てしかなかったので「育児のコトノハ」というブログタイトルをつけて、自分の子育てのツラさや面白さをポエムにして発信していた。こんな風に。

今、目の前の子どもと接するのが
つらいな
しんどいな
イライラする
と思った時は
頭の中だけ 未来へ行く

10年後 15年後
娘と私は どんな会話をしてるかな

一緒に服を買いに行って、これかわいい!と女子トーク?
アイドルのコンサートに行ったりする?
もう コイバナもしてるかな
アクセサリーや バッグの 
貸し借りも いいな

どんな女の子になってるのかな?

10年後 15年後
息子とは私は どんな会話をしているかな?
もう反抗期?
おかん!とか おふくろ!とか 言うのかな
何の部活をしているのかな
制服姿 ……似合うかな
どんな女の子を連れてくるのかな

泣き止まない 赤ちゃんも
やんちゃ盛りの 3歳児も
ずっと 今のままではないんだ

5年後 10年後 15年後
どんな 女の子になってる?
どんな 男の子になってる?
想像すると
妄想すると
なんだか にやけてくる

疲れが 少し 吹っ飛ぶ気がする
しんどいときは 電車に乗って
中学生や 高校生 大学生を ウオッチング
こんな子になったらいいな なんて
こっそり チェックしたりして

現実から 少し離れて ちょっと先の 未来へ行く
そして
今、腕の中にいる この子が
大きくなった時

私は どんな お母さんだろう
そんなことをふと考える

そうしたら 小さなことにイライラしてたのが
ウソみたいに
いいお母さんじゃなくてもいいから
笑っているお母さんでいたいな なんて
思えて
フッと 肩の力が抜ける

しんどいときは
未来へ行こう
気持ちだけでも  未来へ行こう

(育児のコトノハ 2010 🄫さわらぎ寛子)

こういう「ポエム」を毎日何本かブログにアップしていた。この記事が50本ほどになったころ、

「あなたの書いている記事を、雑誌のFacebookページに載せさせてほしい」と、超有名子育て雑誌の編集者さんから依頼が来たのです。

そこで、そのFacebookページに載せた私のポエムのような記事が、10万いいね!を獲得。

それを機に、子育て系の雑誌から依頼を受けて、「子育ての専門家の話を聞いて記事にまとめる」という取材ライターの仕事をするようになった。



「子連れで行っていいですか?」抱っこして取材、おんぶしてプレゼン


会社を辞めて1年ほどして、二人目を妊娠。そして出産。産後は少し働き方を変えた。

基本的には家の中でできる「ライター」としての仕事を。カタログのコピーを書いたり、企業のFacebookページの記事を書いたり(7,8年前はFacebookページが流行っていた)。

1記事1,000円ぐらいの仕事を受けていた。

取材や広告制作の仕事も、「紹介」を中心に広がっていった。一度受けた仕事がよければ、次を紹介してもらえた。

私は大阪に住んでいるのだが、「関西で、しっかり取材もできるライター」は珍しいようだった。

「取材の段取りから、取材先への交渉、執筆、編集者とのやり取り」など「書く」以外の仕事ができるライターは少ないとよく言われた。

WEBの記事は書けるけど、リアルな取材はできない、というWEBライターさんが増えていたのかもしれない。


第二子、第三子の出産後(保育園に入る前)は、仕事の依頼が来ると、「赤ちゃんがいるんですが連れて行ってもいいですか?」と聞くようにしていた。

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それで「ダメ」と言われたら、仕事は受けない。そう決めていたが、ダメと言われたことは一度もなかった。

抱っこ紐に入れた状態で取材をしたり、おんぶしてプレゼンをしたりした。



「締め切り」「相手が決めた価格」の仕事を一切やめた


そうやって、第二子、第三子の出産後も、仕事を続けていたのですが、さすがにきつくなったのが、長男が小学生になった時。

学童、保育園、もう一か所の保育園という3カ所のお迎えになったのだ。

「もう今までと同じ働き方はできない」と肚をくくり、「締め切りや価格が決まった依頼仕事を受けるのはやめよう」と決めました。

雑誌の取材ライターとしての契約を、すべてやめた。

そうして、自分で主催する「セミナー」と「講座」に仕事の軸足を移したのです。

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月に3回の連続講座を始めたのが4年前。


昨年からは、6か月12回の講座をスタートさせました。

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今は第3期。東京、大阪、オンラインで開催しています。


子育ては、仕事のハンデではなく強み。人はどんな状況になっても、ゼロから仕事を創りだせる。


ブログの発信から始め、雑誌や書籍のライターを経て、今は、働く場所も、時間も、一緒に働くメンバーも、自分で選んで仕事をしてる。

「受け身」の働き方を脱し、全て自分で決める覚悟を持つ。

自分で決めるのは怖いし不安になることはあるけれど、何よりも自由だ。そしてそんな自分の発信を見てきてくれる受講生さんたちは、本当に素晴らしい方ばかり。


10年前、会社の最寄り駅の改札口の前で、しゃがみこんで泣いていた自分に言ってあげたい。

「子育ては、仕事のハンデじゃなく強みだよ」

「どんな状況になっても、仕事はゼロから作り出せるよ」

そして、その後に待っている世界は、この上なく自由で楽しいよ。



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