道がなければ、つくればいい。子ども3人とつくってきた「私の働き方」。
10年前。長男が1歳半の時に会社をクビ同然でやめた。1年間の育休をとって復帰した後、会社に通えなくなってしまったためだ。
会社を辞めたけど、仕事はやめたくない。
そこからどうやって自分で仕事をつくってきたか。
今、10年前に描いた理想よりも「少し先」に来た実感があるので、この10年間でやったことと当時の気持ちを振り返ってみたい。
子育てと仕事の両立に悩む方や、独立して仕事がしたいと思う方の参考になればいいなと思う。
10年前に描いた夢は、今、全て叶っている
10年前、コピーライターとして勤めていた広告制作会社を辞めた。育休復帰後、会社に自分の居場所がなくなったと感じ、上司や社長とうまくいかなかくなったのだ。復帰後、2カ月ほどたって、会社に行くのが苦しくなった。
毎朝、泣き叫ぶ長男を引きはがすようにして保育園に預けた後、全速で自転車をこぎ、電車に飛び乗る生活。泣く子を預けて会社に行くのに、会社についてもやることがない。私、いったい何をしているんだろう。
会社の最寄り駅の改札を出ると、足がすくんで動けなくなった。10分ぐらい駅前でしゃがみこんだ後、なんとか会社に行っていた。でも、それも半年も持たなかった。
会社を辞めたけれど、どうしても仕事はやめたくなかった。
会社員時代にやっていたクライアントの仕事を引き継ぐのはタブーだったので、仕事の見込みはゼロ。何をやろうか?
コピーライターとしてしか働いたことのなかった私は、ほかにできることがある気がしなかった。1歳半の息子を抱えて、再就職も難しい。
そのころFacebookで知り合った同じ市に住む女性に誘われて、市が主催する「起業・創業セミナー」に参加した。
そこで、「未来の自分のビジョンマップ」をつくった。写真を切り抜いてボードに貼っていくやつだ。写真は残っていないが、どんな写真を貼っていたかは覚えている。
● 100名規模の人の前で講演をしている
● 自分の名前で出した本が書店に平積みされている
何をテーマに講演をするのか?どんな本を出すのか?そんなことは全く考えていなかったが、何の根拠もなく、自分はコレができるような気がしていた。
そして、10年後、どちらも叶っている。
ブログとFacebookで、ゼロから仕事をつくってきた
仕事ゼロの時点で、当時私がやったのが、Facebookとブログでの発信だ。といっても、ブログで稼ごうとは思っていなかった。アフリエイトやアドセンスは一度もやっていない。
ブログで稼ぐのではなく、「ブログで私を知ってもらい仕事に繋げたい」と思った。
当時、自分の興味のあることが、子育てしかなかったので「育児のコトノハ」というブログタイトルをつけて、自分の子育てのツラさや面白さをポエムにして発信していた。こんな風に。
こういう「ポエム」を毎日何本かブログにアップしていた。この記事が50本ほどになったころ、
「あなたの書いている記事を、雑誌のFacebookページに載せさせてほしい」と、超有名子育て雑誌の編集者さんから依頼が来たのです。
そこで、そのFacebookページに載せた私のポエムのような記事が、10万いいね!を獲得。
それを機に、子育て系の雑誌から依頼を受けて、「子育ての専門家の話を聞いて記事にまとめる」という取材ライターの仕事をするようになった。
「子連れで行っていいですか?」抱っこして取材、おんぶしてプレゼン
会社を辞めて1年ほどして、二人目を妊娠。そして出産。産後は少し働き方を変えた。
基本的には家の中でできる「ライター」としての仕事を。カタログのコピーを書いたり、企業のFacebookページの記事を書いたり(7,8年前はFacebookページが流行っていた)。
1記事1,000円ぐらいの仕事を受けていた。
取材や広告制作の仕事も、「紹介」を中心に広がっていった。一度受けた仕事がよければ、次を紹介してもらえた。
私は大阪に住んでいるのだが、「関西で、しっかり取材もできるライター」は珍しいようだった。
「取材の段取りから、取材先への交渉、執筆、編集者とのやり取り」など「書く」以外の仕事ができるライターは少ないとよく言われた。
WEBの記事は書けるけど、リアルな取材はできない、というWEBライターさんが増えていたのかもしれない。
第二子、第三子の出産後(保育園に入る前)は、仕事の依頼が来ると、「赤ちゃんがいるんですが連れて行ってもいいですか?」と聞くようにしていた。
それで「ダメ」と言われたら、仕事は受けない。そう決めていたが、ダメと言われたことは一度もなかった。
抱っこ紐に入れた状態で取材をしたり、おんぶしてプレゼンをしたりした。
「締め切り」「相手が決めた価格」の仕事を一切やめた
そうやって、第二子、第三子の出産後も、仕事を続けていたのですが、さすがにきつくなったのが、長男が小学生になった時。
学童、保育園、もう一か所の保育園という3カ所のお迎えになったのだ。
「もう今までと同じ働き方はできない」と肚をくくり、「締め切りや価格が決まった依頼仕事を受けるのはやめよう」と決めました。
雑誌の取材ライターとしての契約を、すべてやめた。
そうして、自分で主催する「セミナー」と「講座」に仕事の軸足を移したのです。
月に3回の連続講座を始めたのが4年前。
昨年からは、6か月12回の講座をスタートさせました。
今は第3期。東京、大阪、オンラインで開催しています。
子育ては、仕事のハンデではなく強み。人はどんな状況になっても、ゼロから仕事を創りだせる。
ブログの発信から始め、雑誌や書籍のライターを経て、今は、働く場所も、時間も、一緒に働くメンバーも、自分で選んで仕事をしてる。
「受け身」の働き方を脱し、全て自分で決める覚悟を持つ。
自分で決めるのは怖いし不安になることはあるけれど、何よりも自由だ。そしてそんな自分の発信を見てきてくれる受講生さんたちは、本当に素晴らしい方ばかり。
10年前、会社の最寄り駅の改札口の前で、しゃがみこんで泣いていた自分に言ってあげたい。
「子育ては、仕事のハンデじゃなく強みだよ」
「どんな状況になっても、仕事はゼロから作り出せるよ」
そして、その後に待っている世界は、この上なく自由で楽しいよ。
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