「私、今幸せです」いつ死んでもおかしくないと医者に宣言されてから10年
今日は土曜日。朝早くから車に乗り込み、ブランチのお店に8時半に到着。お一人様ブランチを堪能してからカフェに直行して今に至る。
ここでの注目点が「一人で」車に乗って動き回れていること。7月に流産してから「初期鬱かも」と危機感を感じ、本能的に「とにかく動かないと危ない」と言うことを感じ取った。とにかく動く為に積極的に運転を始めてから3ヶ月になる。
びっくりするくらい行動範囲が広がり、今では夫にお願いして連れて行ってもらわないと会えなかった友達達といつでも会えるようになった。
人間、順応性高すぎる事が強みであり、短所でもあると思う。
運転に慣れてくると今まであれだけ怖くて躊躇していた「スーパーに行く」「カフェに行く」「友達とブランチする」「友達の家に行く」「ジムに通う」などが日常茶飯事になってしまう。
あれだけ悩んで、あれだけ辛かった「半強制的引き篭り生活」だったのに、車線変更に慣れた途端ありがたみを感じなくなる。
お一人様ブランチを堪能してから車に乗り込み「寒い寒い」とぶつぶつ言いながらエンジンをかけた。カフェに行こうとナビ設定をしていると、突然グッと感情が溢れ出てきた。
「私、幸せだ。」
10年前、私は22歳の誕生日の直後に「脳動静脈奇形」と言う10万人に18人に発症すると言われている難病と診断された。
意訳すると「脳の中に出来た血管の腫瘍」。大学4年生。大学院に進学が決まった直後だった。
「脳動静脈奇形」は英語で「(Cerebral) Arteriovenous Malformation」と言う。何語で聞いても「は?」だ。
生まれて初めての癲癇の発作を起こしてから診断がおりるまで2ヶ月。診断の2ヶ月後にやっとの事で脳神経外科医のアポを取ることが出来た。そこで言われた事に衝撃を受けた。
脳神経外科医「あなたの年齢からして、クモ膜下出血(脳卒中)は確実だろう。現状だと、いつ発作が起きて死ぬか分からない。」
要は、明日痙攣発作を起こして倒れた時に頭を打って脳卒中を起こして死ぬかもしれないし、事故に巻き込まれたり大喧嘩してストレスを受けて血が頭に上ったことで脳卒中を起こすかもしれない。寝てる間に脳卒中を起こして明日目を覚まさないかもしれない。色々な「死」のシナリオが述べられた。
視界がどんどん狭くなって、医者の声が遠くなって行ったのを覚えてる。
「このままでは死ぬ。まだ人生始まったばかりなのに。」
一番リスクが大きいけど一番成功率も高い脳手術の決断をした。
半年後に脳手術を受ける頃にはまっすぐ歩くことも大変になっていた。癲癇の発作も2回起こし、症状の悪化が著しすぎて大学も学期を早く切り上げる形を取って実家に戻った。
人生のレールから外れた。
でも、手術後に目を覚ますかどうかもわからない。
そもそも、人生のレールってなんだろう?
生きていること以上に重要な事ってあるのだろうか?
生きるか死ぬかと考える時、ジワジワと自分の中の価値観の軸が変わっていくのを感じた。
7時間の脳手術。手術中に腫瘍が一つではなくて三つあることが判明。手術が長引いた。
でも目を覚ました。ぼーっとICUのボヤけた天井を見上げた。
「I'm alive.」
一晩中血を吐いていたけど、生きていた。
...
脳手術自体は成功し、腫瘍は全て取り除かれた。でも結果として脳損傷が起きてしまっていた。
一難去ってまた一難。今度は予期してなかった「障害者」としての人生が始まった。
20年以上「普通」だと思っていた事が出来なくなり、座る・立つ・歩くからのリハビリ。スプーンを持ってスープを飲むリハビリ。
日本語、英語、両言語にダメージ。記憶力にも集中力にも大ダメージ。
日に日に増えていく診断名。
高次脳機能障害。不安障害。パニック障害。特発性過眠症発症。
集中力と高次脳機能障害のコンビネーションで運転が出来なくなった。
「一生親に面倒見てもらわないといけないだろう。」と言う意見が空気を舞っていた。「かわいそうに。あんなに未来が明るかったのに。」
ああ、せっかく生き延びたのに、もうダメかも。
落胆せずにはいられない一年を無我夢中で生きた。
なんとか大学を卒業した。
その一年後、なんとか大学院も卒業した。
...
大学院を卒業した次の月にダメ元でニューヨークに引っ越した。勿論仕事もなく、ツテも無い。そもそも、一生両親から離れての自立は無理だろうと言われていた状態。
でも本能的に、今行動を起こさないと一生後悔すると強く感じて、お気に入りの枕とスーツケース一つとリュックを持って実家を飛び出した。
大学院まで出て就職出来てないって、人生のレールを完全に外したな。と自分でも感じていた。でも「どうとでもなれ!」という謎の自信のが強かった。
半年間自立と就職を試みて、無理だったら実家に帰って人生を模索し直そうと計画する反面、「脳手術からの脳障害を生き延びた事に比べたら、何があってもどうとでもなるでしょう!」と余裕ぶっていた面も。
半年かかったけど無事就職出来て、大学の専攻とは全然関係ないITでのキャリアを歩み始めた。
同級生に比べたら5年遅れた就職。友達たちに比べると何分の一というレベルに少ないお給料。でも自分で勝ち取った「働ける」と言う事実は私に取ってはかけがえの無いものだった。
こんな自分にも「人並み」の幸せやキャリアが期待出来るのかもしれない。始めて希望が芽生えてきた。
ひと段落ついたと思ったら今度は関節が硬って体が動かなくなった。27歳で関節リウマチの診断を受けた。痛みで着替えをする事も歩く事もままならない生活を通してまた生き方を見つめ直す20代後半。
5年間の通院と闘病生活を経て、95%無理だと医者に言われていた寛解に今年の初めに入った。
...
一生無理だろうと言われた就職と自立した一人暮らしをニューヨークで始めて6年後、結婚して地元に戻った。
車なしでは生きていけない郊外に戻ってから2年、一生無理だろうと自分でも信じていた運転でやっと自由を手に入れた。
障害と向き合って、自分の短所と長所を見比べて、色々模索しつづけた10年間。
「あんたには無理」と言われ続けながら、躓きながらも、亀のペースでコツコツと進んできた10年。
色々辛い事、大変な事があったからこそ胸を張って言える。
「私、今幸せです。」
この10年間支えて来てくれた皆、ありがとう。支えてくれなかった皆んなもありがとう。
脳手術から10年。生きている事、働ける事、社会に居場所がある事、家族がいる事、友達がいる事、全てに感謝でいっぱい。
こうやって普通に靴を履いて歩けている事でさえ奇跡なのに、もっと毎日ありがたみを噛み締めて生きていかなきゃ!
今年も紅葉が美しいです。
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