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「人生後半の戦略書」という本を読んでいる


酒をやめて書籍を読む時間が圧倒的に増加した。もともと本が好きで、本も出版したことあるぐらいなので、特別な思いはあるのだが。

今「人生後半の戦略書」という本を読んでいる。

成功者は成功者で仕事依存でとても大変で不幸せな人生を歩んでいるケースが多いと書かれており、それはその通りだと思った。自分に至っては、それが全くない状態を維持し続けられているわけで、これは発想の転換を行うと、「ダメな自分」ではなくて、「とてもラッキーな状態にある自分」というものに切り替えられるのではないだろうか、という感想を持った。

また、人や自分を「モノ化」するという概念もここで初めて知った。モノ化というのは、つまりは、人としてみず、例えば、「仕事が精密にできる機械」としてみたり、「男を、金を運んでくるATM」としてみたり、「女を、性処理の対象物(モノ)」としてみたりというモノである。これに関しては思い当たる節ありまくりである。まず、自分をモノ化してみていることがなんと多いことか。例えば、金を作るためには、就労マーケットで市場価値を永遠に高め続けないといけないわけで、それってつまり自分をモノ化(自己モノ化)しているわけである。

ある一定で満足すること。これが十分に重要なのだということもこの本の中で書かれていることだ。「富は海水のようなものだ。飲めば飲むほど喉が渇く。名声もまたしかり」哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーが1851年に綴った言葉である。これも身につまされる。社会的比較は愚かで有害な行為である。金がある、有名である、若い、美人などなど。プライドに依存したそうした対比のほとんどは、苦しみしかうまない。成功=他人よりもたくさんのものを持ち続けること、ではないのだ。失敗=持っているものが減ること、でもないのだ。「損失回避」という考え方らしい。

それと、基本的にこの本の中では、冒頭に書かれている「流動性知能曲線」と「結晶性知能曲線」というものがあり、人生後半においては、後者に飛び移った方がいいということを指南している。流動性知能とは、若い頃に得られる知性であり、劣化する。仕事の種類にも夜が30から50代において、その曲線は右肩下がりに落ちてゆく。一方、結晶性知能というのは、それまで蓄積した知識が、言葉のイメージ通り結晶化して構築されているもので、代表例としては「教師」業などがそれにあたる。コンサルとか、アドバイザーとか、そういう仕事もそれに含まれていくんだろう。だから、後年は自分を滅して他人に奉仕しよう。それに対して大きな見返りを求めてはいけない。奉仕できる喜び自体があるのだ、ということが書かれている。

まだ全体の30%程度しか読んでないので、後半はまた別記事にしようと思う。

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