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言語感覚

私は日本語がよくわからなくなるときがあるが、それが、イギリスに数年間留学していたからなのか、それとも本質的に私自身の頭の悪さ、もしかしたら何かしらの発達障害のせいなのかよく分からなかった。まぁ、海外に数年間いたぐらいで日本語が下手になることはないだろうから、おそらく私には言語的なハンディキャップがあるのだと思う。話しているときはそんなことはない。流暢だ。だが、書き言葉になった途端に、言葉がぜんぜん出てこないのだ。友達や旦那や何人かいる恋人とLINEしてても、「それってどういう意味?」と聞かれることがある。

それに、今年て45になる私のLINEを、何かのタイミングで覗き込んだ中学生の娘が「ママのLINEっておばさん構文みがあるよね」と言われた。その時に、中学生の娘が「文章」のことを「LINE」と読んでいて、それに気づけた自分を少しだけ誇れたことがある。それで笑ったら、「何笑ってるの? 気持ち悪いよ」と娘に言われた。

私はビジネスコンサルタントの仕事をしているが、それはなぜかというと、顔がいいからであった。私は、10人中10人に顔を褒められる。ついでに身長も170センチあり、体重は55キロだ。胸やお尻はないけれど、細身の女は現代日本においては明らかに優遇される。私はその優遇を受けて育ち、金を稼いでいる。だが、コンサルタントの仕事は言語感覚が非常に重要なファクターであり、資料作成においては一言一句、レビューにおいて指摘される。その前は金融系の事業会社にいたときもあるが、メールの文面も怪しいという噂が社内に広がってやめることになってしまった。事業会社からビジネスコンサルタントにキャリアアップできたのはかなりの奇跡だった。

私はこれからもこの言語感覚と共に生きていかなければならないわけだが、そうは言っても、悪いことばかりではないのだ。言葉は、整理だ。言葉というのは、物事をきれいに整理してくれるツールだ。私にとってはそれが使えないわけだが、その整理ができてないということ自体に、男どもが、なぜか魅力を感じてくれるらしいのである。だから私には何人もの男がいる。旦那もそれを容認しているし、もしかしたら中学生になる娘もそれを知っている可能性がある。

私は、何かしらの言葉の障害を抱えている人間として、あらゆる方面から優遇されて生きている。いびつな人生であることは間違いないが、私は自分の言語感覚を嫌いになれないのである。

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