私の芸術運動167後はお返しするだけです。

つくづく私は人に恵まれてここまで、謙遜抜きで奇跡的に生きてこられたなと本当に思っています。死を身近に感じたのでは無くて、今の私の生活は私一人じゃとても成り立たないものだと強く思います。

もっと若い頃は一人で生きていく力が欲しいと強く思ってました、周りに左右されず、自分の判断を信じて生きていく力、孤独な力とは意味が違くて、いろんな人に助けられながらも、自分の人生は自分で決めて生きていく!!と信じて生きていたのです、しかし過ぎ去ってみれば人間は一人では生きていけないという事が証明されているわけです。笑

いい事も悪い事もたくさんありましたしこれからもあるでしょう、私はそれなりに年も取りましたし、そろそろ落ち着いて生きていくのがいいのかも?と思う事も増えました、しかし落ち着けるのか?と言われるとそれは難しい事でして、私はまだまだ子供です、子供の頃は背伸びをして大人ぶり、大人になってからは逆に子供の頃の感覚が私の底を突いてきて、大人になれない自分を結局痛感してしまうのでした。

子供の頃にはできなかった事が今の自分には出来る事が増えて、私は結局子供のアディショナルタイムの様なものを生きている様な気がしてます。あの頃の感覚を無くしたくない自分と大人なんだからもっと堅実に未来を見据えてどしっと生きて行く道を行くべきと思う自分がいるわけです、これはどうやらクォータークライシスと呼ばれる心理学的にも指摘される期間にあたるものと私は知りました。

誰もがその道を通り大人になって行くわけですが、私は芸術家であり、それだけは捨てられません、子供の様に世界を見て子供の様に絵を描きたい、描き続けたい、というよりも、私はそういう人間なわけです。

これを社会的に私のことを見るとそれは逃げだと言う人もいますけれども、私からすると芸術家から逃げる事が私には出来ないわけです。笑

みんな仕事に逃げているんじゃないかな?と、思うわけです。
みんなが自分の仕事で誰かの役に立ち、この世界をより良いものにするんだ!!と言う意思を持って毎日働いているならばそれは見習うべき素晴らしい姿勢だと思いますし、それが本来の仕事というものだとも思いますが、皆さんはいかがでしょうか?周りの同僚や上司はどうでしょうか?誰の為の仕事になっているんでしょうか?

今の生活や、将来の自分の安定を目指したものだったりしますか?それも結構、大事なことです。しかしもしそうなら私が社会から逃げているという指摘はどこか違和感を感じてしまいます。

私は自分が感じたことを世界と擦り合わせて、自分の世界を絵に描きます、これが私個人の未来のためになっているか?というとそうじゃないです、この私の世界の表現によって私がお金持ちになるなんて事は理屈が通りませんからね。笑

私は一つの世界の見方、視点というものを描いているに過ぎません、しかしそれが誰かの世界を変えるほどの力があるかもしれません、苦しみから解放されたり、逆に今までの自分の人生を見返す機会になったりするかもしれません、私はそれによって何かの恩恵を受けようと思って描いているんじゃありません、じゃー何でそんなことするの?損じゃないか?となるかもしれない。

だけど私はこれから受け取ろうと思っているんじゃ無くて、もう全てを受け取っているんです、頂いているんです。

だから心からこれまでの人生に感謝を込めて、これからも絵を描いていこうと思うのです。

それが私の人生です。

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