自分のその気質のままでいけよ

コロナの影響で外出自粛となり

僕は生活のリズムが綺麗に崩れてしまいました、もともと朝が弱く仕事もバタバタしながら行くタイプだったのですが職を失った今となっては起きるのはこの時間です。笑

起きれないと言うよりか、眠れないと言った感じですね、眠りにやっとつけるのは朝8時か9時ごろです

このままではよく無いと何度か無理やり生活リズムを取り戻そうと試みました

寝ないで一日過ごしてみたり

逆に早い時間から眠りにつく準備をしたり

どれも失敗に終わりました

なので今回はこの二つを同時にやってみました

まず寝ないで一日過ごし、次の日の20時には布団に入ったのです

こうすれば嫌でも朝9時ごろまでには起きれるかと思ったのです

しかし今日起きてびっくりしました

もうこんな時間なのです

こんだけ寝てしまうと今日もきっと眠れないのだろうと思うのです

またしても失敗に終わりそうです、今日夜眠れればまた違うとは思うのですが、どうでしょうかね😵

まぁーこの際体に任せて生活するしか無いのかもしれないと思っています、起きる意味も寝る意味もぃはなくなっているのですから。

僕は油絵画家です、確かに自宅待機は画家にとっては良い事なのかもしれません、しかし、画家とは自由を求める気質があると思うのです

与えられた自由を生きるのでは無く、自分で自由を感じ取る力をつけるためだと僕は解釈しています、自由な感性で自由に描く心です、何者にも邪魔されない独自の世界の構築です、楽をしようとか、そういう心の元では無いのです

部屋で確かに絵画をここ二週間ちょいの間に3枚仕上げ今4枚目に取り掛かっているところですが、何かが引っかかっています

日々の苦労の合間にふと見える美しい時間というものがあります、とても幸せな時間の後に訪れる虚無感とかもそうですね

今あげた例はまさに山あり谷ありという事です

思い通りに行かないからこそ人は全力で生きていくんだと僕は考えるわけです

今回のコロナもそういう時間を僕に投げかけてきてくれましたが、僕は壁にぶち当たっています、自分は何を表現したいのか?何を描きたいのか?つまりはなんで描くのか?というところです。

描きたいと思うからというのが僕の主張ですが、描きたいと思いながら僕は今自由に描けなくなっている矛盾を感じます

自宅にいて時間もある、画材もなんとかある、なのにここで、ついに

なぜ描くのだろう?という問題とタイマンを張る形になりました

何を描いても自分の心に根ざしたものじゃ無いような気がして仕方無いのです

部屋にある画集全てに目を通し、本を読み、映画を見て、あれやこれやと考えます

自分は絵が描きたくて描きたくてこういう生活に身を置くこととなったが、不自由は多少感じれど不幸で無く、むしろ人に恵まれ幸せに日々楽しく生き、絵も描いて、個展を開いて、公募展やグループ展にも精力的に取り組んできました、絵を描くためです。

しかし僕が一番に考えてきた絵を描くということはつまり僕にとってどういうことなのか?

そこがてんでわからなくなってきました

インスピレーションが湧いて、全身の毛穴が開き、ザワザワしながら筆を走らせ、いいものになるときもあれば、つまらないものになってしまうときもあります、どのような作品であれ、次はもっといいものを描くんだ!と強く思っています、今でもそれは変わりません

人に認められたいという思いもあります、買って部屋に飾ってもらえたら嬉しい、僕の絵が本の表紙に使ってもらえても嬉しい、僕が画家だという事をまずは知ってもらいたい

現実はそう簡単には変わって行きませんが、確かに今まで絵を描いてきた中で、僕の作品を、そして僕を見て何か変化した方がいるだろうと信じたいのです。

絵画は多分、僕よりも長生きすると思われます、しかし、愛された絵画ほど長生きになります、つまり後世に残って欲しいと考えています

僕が昔、絵画に触れたとき、これを描いた人はどういう人なのだろうか?と考えました、なぜこれを描こうとしたのか?なぜこう描いたのか?どういう人に囲まれてどうやって過ごしたのか?その人の人生を読み解く一部という風に考えていました、絵画は人となりを表していると思います

絵画にはいろんな世界が描かれています、描かれた人の雰囲気や、現実的な身なりなどがそよ画家の感性によって画面に描かれています

そしてその画家が、何を考え、どのように捉え、どう思ったのかも描かれています

僕は素晴らしいことだと思います、だから、現代の芸術は少し僕の考えとはズレています、自分を表現して人々を驚かせるようなものとは少し違います、社会に切り込むような風刺という意味では昔からいろんな画家が役割を担ってきていますから通じるものがあります

しかし、もっと泥臭くて、息遣いが荒く、深呼吸してみたり、少しタバコを吸ってみたり、対象を愛でたり、傷つけたり、傷つけられたり、してズイズイと迫って行きます、描かれた風景の中にその画家がいます、描かれた肖像画のその人の目の中にもその画家が映っています

血が通っています、思い出の様な、夢のような、そんな生きた芸術を僕は愛しています。

僕はそんなレベルには達していませんが、自分にはそれが叶うと思っています

しかし最近その自信が揺らいできていると感じます、それはとても恐ろしいことです

技術とか、新しいとか、進化とか、ビジネスとか、なんかそういうものが今はいいとなっている気がします、悪くは無いですが、僕は良いとは思いません

よく言われます、youtubeでとかネットで売るとか、ブログで収益を狙うとか、やばい奴をえんじろとか、不老収益をとか、ブランディングしろとか、確かに分かります、そういうツールが溢れているから活用しない手は無いと思います、それがいいと思います

そうすればアンディーウォーホルが昔言ったあの言葉が現実のものとなります

「人は誰でも15分なら有名になれる」

確かそんなような言葉でした、僕はなんかずっとこの言葉について考えたりしたことがありました

僕の好きな長谷川利行画家はこう言っています

「絵を描くことは生きる事に値するというが、生きる事は絵を描く事に値するか?」

過去の芸術家の言葉なんて引用しても仕方ないと思います、が、僕は絵画と出会ったとき夢を与えられました、希望とかそういった類のものを確かに投げかけられた気がしました、つまり感動したんです。

今はプロセスとか、アプローチとか、その方法や、なんかを問われます

中身が情熱だけではダメという事ですかね?

こんな事にピリピリとしながら考えているのはまさに自分に対しての自信のなさの現れです、僕は絵を描き続ける姿で夢を与えたいです、結果金持ちにならずとも、こういう風に情熱をほとばしらせたいとか、まっすぐ向かって行きたいとか、これが夢なんだ!という姿

大人がかっこいい姿を見せなきゃダメだろうと思うのです、カッコつけてでもです

カッコ悪い姿がかっこわるいわけじゃ無いということも見せなきゃなりません

カッコいいとはどういう事なのか?を僕も考えます、口ではうまく言えませんけどね。、笑

今日起きたとき夢の内容をはっきり覚えていました

暗い部屋の中には棚に色んなダンボールが詰め込まれていました、床にも色んな資料が散乱していました、少し奥には僕の絵画と、イーゼルと絵の具やら筆が散乱していました、僕はウロウロしていて何かを考えていましたが、不意にとき油を蹴っ飛ばしてしまったのです

床に油が溢れ、資料はもちろん、僕の絵画も油でドロドロになってしまいました

僕はイライラして何かを叫びました

すると、入り口に70くらいのサングラスをかけた白毛のおじちゃんが立ってました、そして一言こう言うのです

「自分のその気質のままでいけよ」

そうして落ち着いた僕は夢から覚めました。

自分のその気質のままでいけよ!

今の自分を受け入れて思う事を思うように頑張れと言う意味だと解釈しました

外出自粛で僕もずいぶん頭が弱っているんでしょうね!笑

けれど一生忘れもしないいい言葉だと思いました、ありがとうございます😊🙏

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