私の芸術運動193畑を耕す。

あと一週間。

浅草に来て2年が経ち部屋の更新をする事なく引っ越しすることに決めた。
私は結構引っ越す、一番長く住んだのは上野で、8年も住んでいた。

思い返すと人生の転機の様なタイミングで毎回私は引っ越している、というより思い返してみれば人生の流れが変わったタイミングで引っ越しているとも言える、転機が先か?引っ越しが先か?はたまたセットか。

既に転職活動も始めている、だけどどうもしっくりこない、本来私なんて仕事を選べる立場に無いけど私なりにより良いところで働きたいと思うのは人情である。

面接を受けてかなり手応えもあったけど、個人店の喫茶店であり、いささか不安ではある。

何が不安か?というと、それは漠然とした未知への不安である、お金が稼げて勉強になって、なおかつ楽しければいいけれど、欲を言えば人間関係や、働きやすさ、融通がきくかどうか?は大切だ、しかし働いてみないとわからないことの方がほとんどで、結局のところやってみないことにはわからないだろう、もっと他に良いところがあるんじゃ無いか?もっと運命的な所があるんじゃ無いか?もっとワクワクする事があるんじゃ無いか?そうやって夢見て糸の切れた凧の様になってしまってもいけない。

なにより私は早く働きたい!しかし引っ越しもあるし、他にも細々とした手続きやら何やらがあって貯金も減ってゆく一方なもんだから、私は正直今キャパオーバーになりつつある。

なのに、私は結構フラフラしてる、喫茶店に入って珈琲飲んで、本を読んで、YouTubeを見て、家に帰れば晩飯の準備をして恋人の帰りを待っている、洗濯や、掃除もそれなりにやっている、これはもうニートである。

しかしそんなニート生活も前職を辞めてからまだ三週間程しかやっていない、正直私は焦りすぎなんじゃ無いか?と思う。人生の中で仕事を辞めて1ヶ月間何もしない時間があったって全然良いんじゃ無い?と私は思う、しかしいざ自分がその立場になるとじわじわ追い詰められる、心臓の音がカウントダウンに聞こえてくるのだ。

しかし、そんな中でも、私は映画を、見に行くし、美術館に行くし、喫茶店に行く、全然良いじゃ無いか!!しかしそれが強がりにも聞こえてくる、私は案外不自由な人間なんだなと痛感してしまう、そんな自分がもどかしい。

引っ越しの準備で画材道具を纏めてしまったので、絵を描くのはしばらくお休みにしている間、私はやっぱり何かを作っていないと、表現していないとダメな人間なんだろう、私はこの三週間の間にエッセイのコンテストに2つ応募した。

一つはこのnoteでできるものでいつもの延長線上にあったのでとっかかりやすかった。(ここにリンクを貼っておくので、もし興味があれば読んでみてもらいたい)

もう一つは「待つ」をテーマにしたエッセイの募集があったので、私はとりあえず書いてみようと思った。

結果はどうあれ、私は絵も描くが、文章も自然に書いていける人間になりたいと思っていたから良い機会だった。

私の夢は自分のエッセイ集を出版する事だ、しかも私の絵のモチーフに関するエッセイであり、その一編一編に私の描いた油絵を挿絵として入れる、それは見方によっては画集だし、はたまたエッセイ集でもある、旅先でのあれこれや、旅先でのトラブル、出会いと別れ、そしてモチーフとの出会い、それとは別にまだ絵画に昇華されていない旅の話や、詩をエッセイとエッセイの間に一編ずつくらい織り交ぜて一冊を作りたいなと考えている。

noteでいつもあげている私の芸術運動は私の頭の中の整理整頓であり、エッセイや詩となるとまた別物だと思うけど、実は他にもいくつもエッセイの様なものを出版に向けて書き溜めてある、まだまだ手を入れないと発表するには心許ない走り書きの様なものだけど、出版したいのにも関わらず、生涯一冊の本も出版出来ない人生は嫌だ!!と私は思う。

こうやってコツコツ作り上げたものがいずれどういう形になって現れるか?自分で種を蒔き、水をやり、愛情込めて、やりたい事をやる。

どんな芽がでる?花が咲く?

その結果がなんであれ、自分の頑張った事ならば、嬉しいでしょう。

そういう新芽が新しい世界を切り開く事だってありますしね。

はぁーー人生、楽しみです、これからもずっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?