私の芸術運動59全てが何かの過程でしか無い

普段できていた事がなぜができなくなってきたように感じる今日この頃。

コロナの療養を終えて体の倦怠感も抜け切らぬまま、雨が降れば偏頭痛があり、言い訳にも聞こえるかもしれないがとてもいい状態とは言えない、しかしとっても悪いわけでも無い、頭もぼんやりとしていて身体が自分の体じゃ無いようなそんな違和感を覚えています。

日々の疲れもあるでしょうがとりあえず年末までは踏ん張ってなんとか乗り越えてゆきたいと考えています。

最近今後の人生について彼女とよく話します、世界情勢も混乱しているし、今までの日本での生活の普通が普通じゃなくなる時が来る、そんな気がするのです

私が今まで絵を描いて生きてきたような生活がこれからは、気楽に絵も描けなくなるのかも知らないと考えたらずいぶん暗い未来を想像してしまいます、しかし、耳に入ってくるこれからの社会の流れは別の方向を向いているらしいです。

政治の政策もあるでしょうが、社会人の休みも増え、手当が付き、安心して子供を育てて行ける未来、少子高齢化が深刻な問題になっている昨今、社会の在り方がかなり問われています

しかし、避けては通れないでしょう、これから来る人口の減少とそれに伴う数々の問題、どこも人手が足りなくなってゆくのでしょうか?そして消えてゆく企業もたくさんあるでしょう

まだ若かった頃、何も知らずに将来安泰だわと言っていた未来がこうも危ない綱渡りになるとはおもってもいませんでした

私は元々将来安泰なんてことは絶対にないと思っていましたし、実際私はこの10年間かなりの綱渡りをしてきました、そろそろその綱も千切れる頃かと思われますが私はなんとかわたり切りたいと切に願います

まっ、大丈夫でしょどうせ!とはとても思えません

しかし、何かあればその時の自分が最善を尽くすということは知っています、なるようになるだろうとは思うのです。

私は悲観しているわけではなくて、何が起こっても自分が自分の面倒を見て生きていくんだと覚悟しています、どんなに辛い事があっても自分を何とか生かすし、とても幸福な事があったなら、私は自分の心を落ち着けて謙虚に生きていくと昔から決めています

失敗は成功の種であり、成功は失敗の種なのです

成功と失敗というふうに二極化させるとかなり振り幅があるように思えますが、実際の人生はそうでは無いのです、何が自分にとって幸いとなるのか?はわからないものです、辛い経験もいつかの自分には怒って良かったことと思えるようになると思っています、逆にあの時調子に乗ったばかりにと、後悔する人もいるかと思います

全ては一つで繋がっていて株価の様に上下を繰り返しています

その一つ一つの波に右往左往するのではなく、少し長い視点を持ちながら、今という瞬間をどしっと構えて生きてゆきたいものです。

私の芸術運動を確実に一歩ずつ前に推し進めてゆくためです。

いい絵が描けたり失敗したりします、しかし後から見返すとその絵はまた違った意味を持っていたりします

人生もそうやって目に見えることばかりが全てではなく、本当の意味が後からわかったりするものです

今の自分は過去と未来のために有ると考えて、最善を尽くして生きてゆきます。

今しか描けない絵があるのです。

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