王道

思い悩む事には何の意味も力も無いのでは無いだろうか?

僕だって悩むし、こんなこと言ったら悩んでいる人に怒られてしまいそうだけれど

全ての状況は刻一刻と移り変わっていっているし、自分が例えば目にしたあの一瞬について思いを馳せている間、すでにそれは遥か昔のことになりつつある

自分が思っているような事じゃなくなっている可能性がある

これは僕によくありがちな事なのだけれど、悩み考えた挙句、出した答えが検討はずれだったということはよくある、むしろ、そっちかぁーと思わず声を出してしまうような問題にシフトしていたりする

もともと僕の考えていることが検討違いなのも否めない、だから、僕自身、飯田大輝に限っては大抵のことは悩むことじゃ無いという事になる、だから僕はあまり思いを引きずらずに済む

浸っていたい事には存分に浸る、しかし、自分の意思でそこに浸りに行くような感覚であり、常に心のとある部分は冷静に自分を監視しているのを感じる。

話は冒頭に戻るけれど、自分が思っているような事じゃなくなっている可能性について!

これに結びつけて、宝くじやじゃんけん大会なんかの事を昔からよく考えるのだけれど

宝くじを買った人の中に当たりくじを買った人がいる、確率でいうと凄い事なのだが、結果的には当たり前のことでもある。笑

その人が凄い事をしたわけではなく、その人が持っていた券が当たり番号の券だったというだけの事なのだ。

じゃんけん大会世界トーナメントを開いたとする、隣同士でどんどんじゃんけんしていく、二人のうち一人は絶対に勝つ

その次もその次も片方が絶対勝つ

だから世界一になった人は当たり前といえば当たり前、それがじゃんけんのルールなのだ、なぜその人だったのか?それが凄いことなのか?どうなのだろうか?

何が言いたいかというと

自分が思っていたよりも、それは!!ずいぶん違う事なのでは無いかという事である

というよりも、自分の予想が次々に当たるなら、それはもう予知能力なのである、ネガティブな事を考えてネガティブになっていくのは、それはもう未来予知である、才能である、予知能力である。

しかし、じゃんけんや宝くじと違って、誰か一人が選ばれしものなのでは無い

宝くじを買ってネガティブな気持ちで結果を待ち、外れてしまって、ほらやっぱりね、自分はやっぱりダメなのだ!と言ってネガティブになっていく、そのくらいの話なのだろうと僕は思うのです

確かに嫌な事はありますが、ネガティブにならなきゃいけない事はない

ポジティブにらならなきゃいけないと悩む事も本末転倒

そのままでいいです、真ん中を平気にズシズシと歩いて行けばいいと思うのですが?

それができない人がネガティブに振れたりポジティブに振れたりするんでしょう。


「僕はただまっすぐに、画家をやっていこうと思っています、本当にただまっすぐにです。」

3年前に自分で発した言葉を今でも思い出します👍

人生そんな甘かねーけどなぁ🤣

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