私の芸術運動168風立ちぬ

ここからまた大きく人生はうねってくるだろうなと最近感じてる。

なにが?っていう理由はないのだけど、このままってわけにはいかないってことだけが分かっている。上手い下手に関わらず私は昔から絵を描くのが好きだし、趣味の範囲を飛び越えて油絵画家になってやろうなんて一念発起してもう6年、年を30歳を超えてなお消えない情熱に身を任せて好き勝手やってきた、変わらなきゃいけないなと思っているのは画家をどうするか?じゃなくて画家をやるためにそれ以外をどう変えていくか?という事で、私の人生は画家である自分のためのもの、人に迷惑をかける気はさらさらない、何を言われたって私が本心から「まだまだ絵を描いて生きていく」と言っているのだからそうする。

苦しい方へ苦しい方へ行きたいわけじゃない。好きな方は好きな方へ、たとえそれが苦しくてもそれが好きなら仕方ないねと私は思ってる。

大きな決断を迫られる様な場面じゃない、一か八かのギャンブルじゃない、ただ何となく!!私はそろそろ変化する時だろうなと感じているだけのことです。

昨日から新作の油絵を描き始めています、モチーフは先月行った瀬戸内海の旅で見た景色、とても美しかった、地元民からすればいつもと何ら変わらない日常の風景ですがわしからしたら非日常でした、多分私が普段に感じている当たり前と思われる事も、誰かにとってはスペシャルな事なのかもしれないなと思っています。

だから私はたわいも無いありふれたものを再発見して絵に描いています。案外私の才能というのもそういう普通と思っているものの中に眠っているんじゃ無いかな?と思うのです。

今でこそ誰からも興味関心の無い私の絵でも、私はとても価値を感じて描いている、私にとっての価値がそこにあると感じている以上は、信じて描き続けていく以外ないでしょう、そこに評価がついて来なくても、私はそこに価値を感じて描く画家だという事です。

スタジオジブリの作品で宮崎駿監督の「風立ちぬ」という映画があります。私は宮崎駿監督作品の中で一番好きなのですが、その理由はわからないのです、あの映画を見ていると全身の毛穴がザワっとして目を見開いて集中してしまいます、あの時代背景も、人間模様も、堀越二郎の人間性も、飛行機への夢も、音楽も、堀辰雄の原作も、全てが私の心を刺激してやまない映画となってます。

私はその映画に自分を重ねていたりするわけではなくて、あの時代にそうやって夢を形にしようと人生をかけた人がいたという事実が胸に迫ってきます。

作中で飛行機の設計家のカプローニが堀越二郎にいいます

「飛行機は夢だ、設計家は夢に形を与える」

「私は設計家だ、操縦はパイロットに任せればいい、向いている人間は他にたくさんいる」

戦争が背景にある映画ですけれど、とても美しい夢の様な気分にさせてくれます。

本当に凄いものを作ってしまったなと私は見ていて思います、ありがとうございます。

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