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"長文失礼します”と冒頭に泥を塗る行為は謙虚どころか傲慢だ

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もうやめましょうよ

もう、これ以上言い訳するの

やめましょうよ

その字数がもったいない

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冒頭に「長文失礼します」とあるから、「おー。1万字でも書いたのかな?」と開いてみれば、400字くらいの文字が並ぶ。一気に読む気が失せた。「失礼します」というくらいだから、「長文=失礼なもの」という認識があるのだろう。そりゃあ、つまらない駄文を読まないといけないのなら苦痛だが、そうでないなら、そっとその文章を閉じればよいだけのもの。読む側は義務ではない。読まないという権利がある。たったの400字=長文=失礼、というふざけた等式なんて作らないで欲しい。それは文化の破壊だ。Twitterが基準の世界なんて、そんな栄養価の低いジャンクフードばかり摂取していたら、あっという間にスカスカの脳内骨粗鬆になっちまう。新聞も失礼、文庫本も失礼、長編小説なんて存在だけで罪深い。そんな世界は退屈だ。


仮にその「相手が読まないといけない状況」だとしても、例えばビジネスでの文章だとしても、「長文失礼します」なんて内容に保険を掛けるくらいなら、精一杯の推敲と工夫が先だろう。失礼なのは長ったらしい駄文の連続なのであって、文字数ではない。文字数そのものに罪はない。罪を擦り付けてはいけない。彼らは無罪だ。だいたい「長文失礼します」なんて書いたら先方に怒られる場合だってあるんじゃないか。「舐めるな」って。仮に本当に文字数が通例の倍以上あったとしても、できる人は全部読まない。スキミングして、骨組みを理解して、的を得るのに必要な部分だけ読むはずだ。そんな人からしてみれば「長文失礼します」は傲慢に映るか、「私は日々まとまった文章なんて読まず、安っぽいまとめサイトで知った気になっている人間です」って言っているようなものじゃないか。


もし昔のようにそもそも通信量が決まっており、一定以上は送れない、または課金されるというサービスを未だに使っているというなら「長文失礼します」も肩で風を切るかもしれないが、うん、もうそれ使うのやめましょ。


「400字は確かに長文と言い切るには足りないけど、2000字ならどうだ?」だって?もうわかってることじゃないか。長文=何文字以上、なんて定義はないんだ。それはそれぞれが日常で接している文字数によって変わるんだ。だから、やめましょ。


「延々と身も蓋もない相談に乗ってくれてありがとう」の意味だって?


それなら「ありがとう」でしょ。


*冒頭はいずれ海軍大将になる男のパロディーです

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