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十牛図風エッセイ(6/10)~騎牛帰家

十牛図風エッセイの6話目。いままでタイトルは2文字でしたが、ここから4文字になりますね。騎牛帰家は「きぎゅうきけ」と読みます。このエッセイでは、心からつながりを得た状態とはどういうことかについてまとめてみます。

≪バックナンバー≫

六、騎牛帰家について

いままでの旅で牧人(いまの自分)は牛(ほんとうの自分)をてなづけてきましたが、手綱は手放せない状況でした。この絵ではとうとう、手綱を放し、手放しで牛に乗り、牛が勝手に自分の家に帰っている状況が描かれます。ほんとうの自分とは世界とのつながりの中にあることを、牧人は意識せずともわかっていることをこの絵は語りかけてきます。

六、騎牛帰家

ふりかえり(つながることについて)

「一、尋牛」で哲学を学ぼうとした発心にふれ、「二、見跡」で哲学の学びに関わってくれた会のメンバーや松波龍源先生のことについて触れました。
このふりかえりだけでも予測不能の縁につつまれた喜びを感じていますが、本出版により自分の故郷とのつながりを再認識したことがありましたので、そのことについて書いてみようと思います。

両親とのつながり

私は鹿児島で生まれ育ち、高校までは鹿児島で過ごし、福岡で大学生、関東で社会人生活をスタートしました。今回の出版の草稿を帰省のときに両親に渡したところ、両親は自分のことのように喜び、何度も原稿を読み、知り合いに魅力を伝えてもらいました。
自由にさせてもらって生きてきましたが、自分のルーツである両親は、自分の一番の理解者であることを、再認識できました。

恩師とのつながり

両親が連絡をとった方々のなかに、高校時代の担任の先生も含まれてました。その先生とも久しぶりに連絡をとり、先生も「このような人とめぐりあい、本を出版できたことは素晴らしいこと」と自分のことのように喜んでくださいました。昔お世話になった人とお話すると、自分がなぜこのような自分になったのかをふりかえるよいきっかけになると強く感じました。

両親が勤めていた会社とのつながり

私の両親は製紙会社につとめていて二人は出会い結婚し、私が生まれました。母は結婚後製紙会社を退職し、父は定年まで勤め上げました。中越パルプ工業という製紙会社なのですが、私の誕生から成長まで大きく関わっていたといえます。
今回の出版で、どこの紙を使っているかと中越パルプ工業関係者から問い合わせがあり、出版社に確認したところ中越パルプ工業だということがわかりました。まったくの偶然ですが、思いもよらぬところで、中越パルプ工業とつながることができました。

つながりを認識することで、自分の根源に触れることができる。今回の本出版では、ほんとうの自分の根源に触れたら、牛が勝手に故郷まで連れ帰ってくれた。そんな感覚だったかなとふりかえりながら思いました。

次回、「七、忘牛存人」について

個人的には、この図の状態までこれたら気持ちよさそうだし、それでいいじゃないかって思いますが、ここからが十牛図の面白いところ。次回は、「自分をてばなすこと」についてまとめたいと思います。


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