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十牛図風エッセイ(1/10)~尋牛

本エッセイの動機

哲学が趣味で「哲学を語る会」を主催し、その討議内容を今年出版することができました。様々なご縁に恵まれて出版にいたりましたので、協力いただいた方に恩返しする意味においても、一人でも多くの人に手に取っていただきたいと思ってます。ただ願うだけでは良い結果は得られないはずなので、自分なりにさまざまな試みをつづけてみようと思います。このノートもその一環で、出版にいたるまでの経緯や、哲学を語る会で得られた気づきを十牛図風?にまとめていきます。

十牛図とは?

十牛図とは逃げ出した牛(ほんとうの自分)を探し求める牧人(ほんとうの自分をもとめる自分)の様子を、段階的に描いた十枚の絵のことで、禅の悟りにいたるまでの道を示しています。「哲学を語る会」でも十牛図をテーマに正しさや空について語り合いました。

十牛図

一、尋牛

十牛図の最初の一枚は牛(ほんとうの自分)がいない状態から始まります。大抵の人は感情や思考の結果を自分と思いがちですが、それを生み出しているのが「ほんとうの自分」。感情に振り回されている自分をこの絵は表していますが、それを認識し、本当の自分を探していこうとする「発心」が大事とこの絵は語っています。

一、尋牛

ふりかえり(哲学のまなびの発心とは?)

日本のことを何もしらない自分

哲学のまなびの「発心」とは何だったのかをふりかってみます。もともと私は理系(物理学科)でエンジニアとして就職し、コンサルタントとしての道を歩んだ。海外で仕事をする機会も多かったが、日本のことを聞かれたときに答えられれないことが多く、日本人に根付いている仏教については一度深く学びたいと思っていました。

哲学との出会い

十数年前に会社のリフレッシュ休暇をいただいたときに、仏教書を買い込んで断食修行にいき、仏教を学び、「仏教って哲学なんだ」と思い、哲学に対する継続的学びがスタートしました。
仏教を学ぶうちに、「西洋哲学」についても知りたくなり、少しずつ本を読み始めました。でも難しくてわからないことだらけで、なかなか理解がすすみませんでした。

理解の試み①:アウトプットする

社内で勉強会を開催していたので、そのコンテンツに自分なりに理解した哲学の話を織り込んで、説明することを試みました。アウトプットすることで理解が進むこともあったと思います。IoT(Internet of Things)をカントの哲学で説明したときは、自分なりに面白い整理と思ったものの、聞く人の反応は???でしたけど・・・

理解の試み②:対話する

哲学すきな人と話をすると、盛り上がるだろうし、学びが深まるだろうと考え、自分の周りにいる哲学好きの人に声をかけて「哲学を語る会」を開催しました。最初のテーマは十牛図でしたが、継続的な会になるとはそのときはまったく想像できてませんでした。

ふりかえってみての気づき

いろんなことに興味を持ち、学ぶことは好きなほうだと自分では思ってますが、哲学はなかなか理解できず、理解できないからこそ、学習欲が高まったように思います。何が発心だったかは、ふりかってみないと特定できないですが、不思議なご縁に包まれたと本当に思います。

次回「二、見跡」について

「哲学を語る会」の指南役でもあり、本の監修にも携わって頂いた松波龍源師とのご縁を中心に、自分の学びについて、まとめたいと思います。


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