見出し画像

「極端じゃない奴は面白くないし。何もやらないし出来ない。」

こんにちは。
お久しぶりです。ヒロです。
僕は現在東京で会社員をやっています。元々ラップをやっていて、レコーディングスタジオを作ることを夢見ていたりします。

noteのいいね数やフォロワー数が伸びてきて、調子に乗って、筆が乗るヒロです。(もっと伸びろ笑。お願いします笑)

ある好きな人の、好きな言葉があります。
出版社 幻冬舎 社長 見城徹さんが同じく幻冬舎の編集者の箕輪厚介さんのYoutube内で語っていた言葉です。
「極端じゃない奴は面白くないし。何もやらないし出来ない。」

この言葉が深く刺さっています。まさにその通りだなと。この言葉の意味する本質的な部分が最近わかってきたんですね。

僕は音楽やファッションが好きなんですけど、僕がカッコいいと思う人はやっぱり尖っているんですね。尖っていると言っても、大衆を寄せ付けないとかそういうことではなくて、ある程度認知されていたりしても、ちゃんとそこに軸があって、作った人が表現したいことがはっきりとわかるようなこだわりを感じるということです。

逆にあまり好きじゃない作品がどんなものかって考えた時に、
売れるようにマーケティングで表面的に作り上げられたものが好きじゃないなと感じました。
やはりその裏側に確固たるストーリーやこだわりがあるものは、深く知りたいなと思うし、ファンになります。

例えば、企業が大金を出して、デザイナーがパッと作った服のブランド
デザイナーが売れてない時から地道に作り上げてきたブランドだと
やはりその背景から感じる奥深さが違うと思うんですね。

言い換えると、間を取って、広い層を取るために中途半端なものを作っても何も面白みがないし、個性を感じないなと思うんですよね。
音楽でも、オーディションで抜擢されたアーティストが歌う有名なプロデューサーが作ったハイクオリティな曲よりも
Youtubeに上がっているインディーズのアーティストの曲で、荒削りだけど魂を感じるような歌詞で気持ちを込めて歌っていると
後者を応援したくなるんですね。

この2つの違いは色々あると思うのですが、一番わかりやすいところは何かというと、表現に振り切っているか否かだと思うんですね。確かに、たくさんの層を取るために”みんなが好きなもの”を作った方が売れると思います。でも、それを作る人が表現したくて溜まらないものが落とし込まれたものは、見る人の感情を揺らしたり、記憶に刻まれると思うんですね。

僕は自分が音楽を始めてから、売れるために色々なことを考えたり、やってきたりしていたのですが、売れるということを考え過ぎて、心が折れました。また、自分がやりたいことは”音楽で自己表現”をすることであって、お金儲けじゃないなと。だから、まずは極端に表現をすることが自分にとっても、後々の活動においても良いなと。だからこそ、今はすごくやっていて楽しいですし、その軸でやっていると同じように僕の表現を好きでいてくれる人が増えてきているような気がします。

たまに”お前は極端”と指摘されることがあって、その度に気にしていたのですが、極端で上等と今は思っています。笑
作りたいものを続けて、それを知ってもらう、評価してもらうために全力で行動していきたいと思っています。
本来、マーケティングとかブランディングの本質ってそこじゃないかなと。誰も知らない作品は無価値だと思いますが、好きでもないものを作ることはさらに無価値だと思っています。

これからも僕の表現活動をどうか応援下さい。
よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?