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いつしか「挑戦」「チャレンジ」を忘れてしまった大人たちへ


先日クラブからのリリースが発表された。

今シーズンから千葉県の
房総ローヴァーズ木更津FCで
サッカーをすることになった。

2年前の2022年
仕事中心のサラリーマンから
サッカー選手になるために和歌山県へ移住。
そしてさらにその2年後となる今。
2024年は千葉県にいる。

地元「長崎」→就職「福岡」
    →サッカー選手「和歌山」→「千葉」

西から東へ。
「お前はどこまで行くんだ」と言われる。

今回の移籍。
サッカー選手になってからはもちろん初めてのことでその過程もよくわからなかったし、いろんなことで不安になって、迷って、決断をした。

この移籍は僕にとって何なんだろう。
そんなことをここ数日は考えた。

「挑戦?」
そう言うとなんだか「人生を賭けた」
「一度きりの」「最後の」そんな言葉たちが
前についてきそうな感じがする。
なんだかすごく重たい言葉に聞こえる。

「チャレンジ?」
そう口にすると「挑戦」というよりも軽い。
何度でもできそうな気がする。

「挑戦」と「チャレンジ」

本来その意味合いは同じだ。
ただ僕にとっては、
それぞれ違う感じ方をする言葉たちだ。

そう考えると今回の移籍は「チャレンジ」
この言葉がピタッとハマるだろう。


「どんどんチャレンジしていこう!」

そんな言葉を人から言ってもらうことは
いつからか少なくなったように思う。
いや間違いなく少なくなった。
それは歳をとったせいだろうか。

子供の時は「チャレンジしよう!」
この言葉をたくさん聞いていたはずなのに、、

人は歳をとるとチャレンジするのが怖くなる。
自分だけで生きていく必要がある。
築き上げてきたものや積み重ねだってある。
大切なものや守るものができる。
それに環境を変えることへのリスクや
恐怖、不安、抵抗があるのも分かる。

そう思うと簡単に「挑戦」や「チャレンジ」をすることはグッとハードルが上がり、難しいと感じる。

だから歳をとるほどに
人は「挑戦」や「チャレンジ」をする機会が
少なくなるのだろう。

実際、僕自身もこの「チャレンジ」を
本当にすべきなのか迷った。

このタイミングでチャレンジすべきではない。
今いる場所でもチャレンジはできるだろう。

そんな想いがあったのも事実だし、
和歌山での2年間で築いてきたものや積み重ねを手放すことが惜しい気持ちだってあった。


でも僕は今千葉にいる。
新しい環境を自分で選んで、ここにいる。

何が自分をそうさせたのか
そのはっきりとした答えはわからない。

・さらに上を目指したかった?
・新しい環境に飛び込んでみたかった?
・ここに来ることで自分が
 どう変わるかを見てみたかった?
・あの時頑張らなかったこと
 逃げたことに後悔を感じているから?
・今の自分に必要なことだと思ったから?
・誰かの言葉がそうさせた?

理由を考えれば、
あの時のことやあの日のこと、
そして今のこと、未来になるこれからのこと。
すべてが当てはまるように思う。



2年前サッカー選手になるために
セレクションを受けて、仕事を辞めた。
あれは「挑戦」だったのだろう。

そしてサッカー選手となって、2年が過ぎた。
2024年はサッカー選手になって3年目になる。
僕のなかで当たり前になり始めたこの生き方。

そして今度は「挑戦」ではなく、
     「チャレンジ」することを決めた。

まずはこの1年。
存分に「チャレンジ」しようと思う。
もちろん成功も失敗もあるだろう。
どちらかと言えば、「失敗」のほうが
多くなってしまうかもしれない。

でもそこから得られるものがあることも
今は知っている。そして分かる。

この1年のことをどうやって残していこうか。
最近はそんなことも考えるようになった。
これまでのようにnoteに残そうとは思う。
ただ同じnoteでも少し違ったやり方で
「チャレンジ」してみようと考えている。

すでに千葉での新しい生活はスタートした。
初めての住む関東でこれまで住んできた地域や街との違いに色々と驚いているけれど、それもまた楽しい。
新しい仕事も始まって、サッカーも始まる。
新しいことばかりの毎日は学びが多くて、
その分気づきもたくさんある。

「学び、考え、チャレンジする」

26もの歳を重ねた。
人よりも優れていると感じるものだって、
少しはあるけれど、足りていないものや劣等感を感じてしまうことの方が僕の人生は圧倒的に多い。

そんな僕でも「挑戦」して、
  さらに「チャレンジ」したから今がある。


「いつまで?」
そんなことを考えることもある。

でもこれは今しかできないことで
     今やりたいことだから全力でやる。



このnoteを書いてみて、
あらためて言葉の面白さに気づく。

「挑戦」と「チャレンジ」

同じ意味合いの言葉でも
感じ方が違ったり、捉え方が違ったりする。
でもそこの違いを意識するだけで
気持ちが重くなったり、軽くなることもある。
言葉が自分や他人を傷つけることもあれば、
それが救いになることだってある。

だからこそ、僕は言葉の重みやその強さを
信じていて、noteを書くことが好きなんだろう。

本当にたくさんの「言葉」に
     僕という人間は生かされている。



あらためて、
ここまでの振り返りも少し交えつつ、
新しい「チャレンジ」についてのnoteを
書きました。
他のnoteも読んでみてください!
念の為、Xのリンクも貼っておきます。

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