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【建築】“グリーン”なミュンヘン・オリンピック公園

選手のいないフィールド、空っぽの観客席。

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ゲームが行われていないスタジアムには不思議な魅力がある。エキサイトした試合、時に歴史的な名試合が行われたであろうそのスタジアムには、まだ選手や観客のエネルギーが残っているようにも感じられる。

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それはミュンヘン・オリンピック公園も同じであった。


ミュンヘン・オリンピック公園(Olympiapark)は、1972年に開催されたオリンピックのための競技施設であり、メインスタジアム、アリーナ、水泳競技場、オリンピック・タワーなどが建設された。
旧市街からも近く、市の中心部からのアクセスも良い。

公園のコンセプトはグリーン・オリンピック。オリンピック終了後も、スポーツやレクリエーションの場となるように計画された。


訪れたこの日は朝から快晴。早朝のためかほとんど人気ひとけもなく、この公園を独り占めしているかのようであった。

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朝露に濡れて滑りやすい芝生に注意しながら歩く。
5月のミュンヘンは涼しく、朝の散歩としても、とても心地良い。

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緩やかな起伏のある地形にスタジアムや広場、池が点在しており、市民の憩いの場という表現がピッタリである。

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しかしこの場所はかつて軍事飛行場としても使われていたと聞く。飛行場は本来フラットであるはずなのに、なぜ起伏があるのだろう?

その答えは戦争にある。この場所は第二次世界大戦後、破壊された街の瓦礫の集積場として使われていた。その瓦礫を土台に盛り土をして、今の緑溢れる公園として造成されたのだ。


少し歩くとアリーナが見えてくる。

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ここのアリーナやスタジアムはとても変わっている。唯一無二と言ってもいい。屋根が吊りテントのような構造になっているのだ。サーカスのテントのようにも見えるが、仮説ではなく、ちゃんと恒久的な建物だ。

起伏のあるフォルムはアルプス山脈をモチーフとしている。

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建物中央にマストを立てて、テントを引っ張り上げている。さらにそのマストも、周りからのケーブルによって支えられている。何という発想だろう!

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テントの端には杭や基礎をつくって、ケーブルでガッチリ引っ張っている。このケーブルもまたデザインの一部として見せている。

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テントはもちろん布ではなく、何百枚もの透明なアクリルガラスをワイヤーとボルトで固定したものだ。

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さて、メインスタジアムである。
一般的にスタジアムと言えば巨大建築だ。中には圧倒されるものもあり、それがスポーツの殿堂であることを示していたりするのだが、ここのメインスタジアムには、そうしたシンボリックなファサードは見当たらない。地形に合わせて掘り込んだようにつくられており、外からはテントの屋根が見えるだけだ。

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これはかつてナチスが記念碑的なスタジアムを作ろうしたことの裏返しである。
この施設が計画された1960年代はまだ戦後20年しか経っておらず、西ドイツ(ドイツ)が国際社会への復帰を目指していた時期でもあった。なのでナチス政権下で行われた1936年のベルリンオリンピックとは対照的なイベントにしなければならなかった。
グリーン・オリンピックというコンセプトには、そうした民主的な未来を目指すという意味も含まれていたそうだ。


メインスタジアムは当時8万人収容の競技場として建設された。(写真ではフィールドがレースのためのアスファルト仕様になっているが、現在は陸上トラックと芝生のグランドが整備されている)

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観客席を覆う屋根は、計算された「吊り」や「引っ張り」によって、柔らかいカーブを描いている。アクリルガラスを通して自然光がそのまま入るので、圧迫感もほとんどない。

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このテントを引っ張るケーブルの束も力強い!

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掘り込まれた構造のスタジアムは、最上段が出入口のあるアクセスレベルになっており、売店などの設置スペースもある。

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観客席に座ってフィールドを眺めていると、自分がリアルタイムでは見知らぬことも含めて、過去にここで行われたイベントやゲームを想像してしまう。

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1972年に開催されたミュンヘン・オリンピック。それは悲劇の大会でもあった。パレスチナ武装組織により、オリンピック開催中に、イスラエルのアスリート11名が殺害されるというテロが発生した。その惨劇の現場となった選手村は、スタジアムの近くにある。(スピルバーグの「ミュンヘン」はその事件を描いた映画だ)

オリンピック開催後は、主にサッカー・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンと1860ミュンヘンのホームスタジアムとして使用された。
特にバイエルン・ミュンヘンは欧州屈指の名門チームである。このフィールドで、ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ルンメニゲ、マテウス、オリバー・カーン、ツィーゲ、バラックらがプレイしていたかと思うと...。
あるいは1974年、伝説的プレイヤーらによるW杯決勝が行われたかと思うと...。(いかん! コレだけで1本の記事、いやサッカーというテーマまで広げると何十本にもなってしまうので、とりあえずやめておこう)


2006年、郊外にアリアンツ・アレーナができると、両チームのホームスタジアムはそちらに移り、ブンデスリーガの試合は行われなくなった。
ちなみにアリアンツ・アレーナは威圧感こそないが、シンボリックなファサードで、今で言うインスタ映えする建築である。この建築も私は好きだ。

アリアンツアレーナ


スタジアムを出て振り返ると、照明灯が斜めになっていることに気付く。“真っ直ぐ”でも問題ないと思うが、「引っ張り」という構造をどこまでも徹底している。

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公園に再び目を向けると、一際目立つタワーがある。電波塔としても機能するオリンピック・タワーだ。高さは291mもある。

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展望台もあるが、上らなかった。今思い返すと、行っておけば良かった。

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見学を終えて、早めの昼食は公園内のブュッフェで。明るい太陽の下、昼から飲むビールは美味しい!

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ちなみに公園の隣には、BMWの本社と博物館、ショールームがある。

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特にショールーム(BMWヴェルト)は、これまた変わった建物だ。建築好き、車好きにはオススメの施設である。

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