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恐れずに自分の思いを伝えること

written by wattle🌼

今日は久しぶりに大学時代の友達と会ったんだけど、家族との関係で悩んでそうだったので、会った後にちょろちょろっとLINEで応援メッセージを送った。それに関連して、少し感じたことをシェアします。

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この1年くらい、少しできるようになってきたこと。
人に、心配とか、励ましの言葉をかけられるようになったこと。

今までは、二の足を踏んでいた。
ウザがられたり、寒がられたり、キモがられたりするんじゃないか。
余計なお世話、お節介はしないほうがいいんじゃないか。
他人の人生に自分が口出しする権利があるのか。

今は、まだちょっとためらうけど、そんなもん伝えたらええ、と思えるようになった。

伝えたいことは、伝えたいときに、伝えてしまえ。それが自分らしく生きるということだ。

勇気を出せ。

俺の言葉を聞いた人の心が葉っぱ1枚分でも軽くなって、ふと「なんだ今日もいい天気じゃん。しゃなーい今日もがんばるか」と思ってもらえたら、何より有り難いし、とても嬉しい。
大げさな言い方を許してもらえるなら、その人の希望につながっているということだから。

人の希望につながるかもしれない言葉をかけることと、言いたいことを言わないで自分の体面を取り繕うことのどっちを取るかと言われたら、人として後者を取るべきだと、思えるようになった。

自分の評判なんざ糞食らえだ。そんなものは俺が墓に入ってからなんとでも言ってもらおう。

但し、うわべだけの言葉は決して言わない。本当に伝えたいと思った言葉を伝える。
俺の言葉は、俺だけから生み出されるものじゃない。
俺は人間であり、人間は他者によって生かされている。
亡くしてしまった友人や家族。その人たちの分も生きるんだという思いで再生した自分の心。
何が本当に価値のあるものなのか分からないこの現代に、宗教という普遍的なものを見つめ続けた遠藤周作やガウディとの対話。
過去のそういった人たちに支えられて、今の俺がある。
だから俺は、過去の人たちが俺を通して紡ぎ出してくれる言葉を、未来に託す。

思いを共有し合えるのが、人間のもっともすばらしい点だと思う。

written by ひろびろ🍀

色々と感じること、心に響くことが多すぎてうまく言葉にできないな…

この記事全体が、深く心に残る。

書いてくれたようなwattleの変化はたしかに感じていて、俺に対しても一歩踏み込んでくれることはすごく嬉しい。

いつからかwattleは、俺自身ドキッとするような痛いところを突いてくれるようになったよね。でも、それが深い思いやりに裏打ちされていることが雰囲気、選ぶ言葉から伝わってきて、不思議と全く傷つかないんだよ。

他人の人生に踏み込むような言葉でも、それを発するまでに葛藤した過程はきっと言葉に乗って相手に伝わる。だから、wattleが書いてくれたような思いはきっと伝わる。

そしてそして。
こんな言葉が俺の心には心に刺さった。

俺の言葉を聞いた人の心が葉っぱ1枚分でも軽くなって

自分の評判なんざ糞食らえだ。そんなものは俺が墓に入ってからなんとでも言ってもらおう。

人からの評判、他人の人生に踏み込むことへの恐れや躊躇、いろんなものを乗り越えてwattleが大切にしたいのは「人間として、人間らしく他者とつながること」なんだと思った。

「●●を大切に生きていきたい」という指針ができたとき、それ以外の要素はどうでもよくなる。その旗が力強く立っていく過程をこうして間近で見させてもらえることは、俺にとってもかけがえのない時間。

思うままに進んで、よりよいwattleになっていく過程をこれからも見守らせてね。

written by wattle🌼

書いてくれたようなwattleの変化はたしかに感じていて、俺に対しても一歩踏み込んでくれることはすごく嬉しい。いつからかwattleは、俺自身ドキッとするような痛いところを突いてくれるようになったよね。

ひろびろのことは全く意識せず書いた記事だったけれど、言われてみればひろびろとの関係でも、自分の思いを率直に伝えるようになっていたような気がする。

「●●を大切に生きていきたい」という指針ができたとき、それ以外の要素はどうでもよくなる。その旗が力強く立っていく過程

これ、いい言葉だなぁ。旗の比喩、とてもいい。そんな風に誰かに言ってもらえると嬉しいし、勇気が湧いてくるわ。

人からの評判、他人の人生に踏み込むことへの恐れや躊躇、いろんなものを乗り越えてwattleが大切にしたいのは「人間として、人間らしく他者とつながること」なんだと思った。

これは本当ハッとさせられた。自分でも気づいてなかったけど、そういうことだったんだなと思った。「人間として、人間らしく」ってのがまたこれ以上言葉にするのが難しい世界ではあるんだけどな(これ以上具体的に表現する必要はないのかもしれないけど。)

このブログの最初にamazarashiの「それを言葉という」を取り上げたのも、伝えたかったのは実はこの記事のことだったんだよね。

「言葉にすればたやすくて」って 言葉にしなきゃ分かんねぇよ
君は伝える事 諦めてはだめだ それを届けて
死に損なった 朝が眩しい 出かけさせれてる毎日に
千切れた涙を 銃弾として込めろ それを言葉という

言葉は銃弾のように、相手を傷つけてしまうことがある。そんな怖さはいつだって少なからずある。
でもそれでも、伝えなくちゃいけない時がある。
相手のため。自分のため。そして、自分をこれまで形作ってくれた人たちのために。
銃弾のようなものだからこそ、こちらも真剣に、全身全霊で、弾を込め、照準を定め、ここだという時に撃ち抜かなくてはならない。
この歌からはそんなことを教えてもらったよ。まぁそこまで格好良く日々発言しているわけではないけどね笑

ちなみに、ダイの大冒険のマァムの魔弾銃(まだんがん)は、ホイミ系の呪文も弾に込めて打つことができる。俺も基本的には相手のHPが回復することを祈っている笑

■ 宗教からの補助線
おまけ話。クリスチャンはイエスの生き様にならえということになっているけど、まさに聖書に描かれているイエスの「言葉」は、ここぞ!というタイミングで、相手に変革を促す銃弾のシーンのオンパレードなんだよね(と、俺は理解している。)
権威主義・形式主義に陥っている既存のユダヤ教エリートたちへの痛烈な批判、愛を求めてさまよう女性にふとすれ違った時に優しくかける説教、迷える弟子たちにその時は分からないだろうと分かりつつも与える示唆や導き。。。
イエスの何がすごいって、俺はこういうところが一番すごくて、見習って生きるべきところだなと思っている。だからこそ、「それを言葉という」から上述したように受け取ったんだと思うんだよね。
盲の人の目を見えるようにしたとか、死者を蘇らせた、なんていう奇跡のエピソードもたくさん描写されているけれど、現代においてはそれは象徴的な意味しか持たなくて。でも、人間としてどう生きるべきか、という限りない示唆を、やっぱりこの本は秘めているなぁと感じる。
(おぉ、ようやく、自分の言葉で宗教について語りだせた(笑))


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