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【小説】ハシッコから釣り糸垂らして。-第二話にして最終話-

 中学校に入学してから、理科部という何のひねりもない名前のついた研究サークルのようなものに入った。週に二日、理科の実験室を使って、好きな研究をしてもいいという趣旨があるようでない部活動だった。部員はキミとボクだけだった。だからこそ部活の活動内容は次第にスケールの大きいものにシフトしていった。
 ボクたちは放課後の時間を週五日というペースで研究室にいた。地球に端っこがあることを証明するための仮説を立てて計算をし、ノートにまとめていった。学区の外に出て、自転車で走り続けるという今考えれば無謀な実証実験もした。日が暮れたところで止む無く帰宅を余儀なくされた失敗実験だった。入学して一年が経つ頃には、ノートは十一冊にもなっていた。それだけボクらは真剣だったのに、小学生のとき受けた衝撃を拭うことは、叶わなかった。
 理科部という名前が付いているにも関わらず、顧問の先生は美術部の先生が兼任するというなんともやる気のない体制だった。チュウネンの事情だった。理科の授業を受け持っていた先生は熱狂的な野球男で、あの情熱を理科部に捧げてくれたらどれだけいいだろうと密かに思っていた。
 それでもボクらの情熱が覚めることはなく、流行りに流されやすい飽き性な年代にも関わらず、奇跡的にそれは卒業の日まで続いた。成績優秀だった君は地区で一番の進学校に進学を決めていた。負けず嫌いなボクも地区で二番目の高校に進学することになっていた。どちらも理科系の大学へ進学する生徒が多いことで有名な高校だった。

 どちらの高校も最寄り駅が同じということで、ボクらは一緒に通うことになっていた。近所で待ち合わせをして、肩を並べ歩くのは小学生の頃から変わりなかった。それでも、学校で一緒に過ごすことなくなった分、ボクらの地球に対する熱意を語り合う時間は減っていった。話題にすることを避けていたわけではないのに、自然と会話をしなくなってしまったのだった。少しずつボクらも意図せずにチュウネンへの階段を上り始めていたのだった。
 小学校や中学校のときと比べると、少なくともボクの高校三年間は、豆腐のように真っ平で、柔くて脆いものだった。当時のことを思い出そうとすると、曖昧な記憶は簡単に溶けていく。必死に搔き集めようとするも、そこはまさに豆腐で必死に箸でもがけばもがくほど、崩れていくのだった。
 
 空白の三年を経て、ボクらは再び重なることになった。自宅から電車で通える範囲のなかでは一番の大学に合格することができたのだった。一番の親友はキミだよ。おれだってそうさ。そう言い合える唯一の友人と同じ大学でまた学べることになることに、ボクは心底喜んでいた。
桜が満開のなか入学式を終えたボクらは、始業日も同じように待ち合わせて学校に向かうはずだった。
 朝六時五十分、いつものようにキミの家の前で待っていると、キミはカバンも持たずに玄関先に現れた。
「え、今日そっち始業式じゃないの?手ぶら?」不意をつかれたボクはキミに投げかけた。
「いや、違うんだ…。言ってなくてごめん。親にもまだ言ってないんだ。おれ大学辞めることにした。」
朝一番のまだ寝ぼけている時間帯に寝ぼけたことを言うやつだ。まだ始まってもいないじゃないか。
「始業式に行かないんじゃなくて、学校辞めちゃうの?せっかく合格したのに?」
 一呼吸置いて、キミは学校退学の理由を強い眼差しで語り始めた。学校には行かずに、地球の端っこを目指すという。
 チキュウノハシッコ…。そんな大学が海外にあるのだろうか。聞き慣れない名前の大学だ、宇宙研究の有名な国の大学かもしれない。昔から突拍子もない行動をするタイプだったキミだ。十分に考えられる。納得しかけた瞬間に、頭のなかでそれは全自動的に漢字に変換された。言葉が意味する状況が予想だにしていなかったことだけに、ボクは逆上するかのようにキミに迫った。
「…な。なんで、一言の相談もしてくれなかったんだよ。ボクも一緒に行きたかった。何も聞いてない!」
 キミは奥歯にグッと力を入れたあとに、ごめん。と一言つぶやいた。そして無言で一切れの紙をボクに突き出した。そこには地球の端っこから肩を組みながら宇宙に釣竿を垂らすキミとボクの絵が描かれていた。
「出発は明日なんだ。地球の端っこで、道具揃えて待ってる。」そう言ったキミの顔には一ミリの迷いもなかった。そして見たこともない爽やかな笑顔をしていた。そして胸に静かに手を当て、もう片方の手で扉を閉めた。
 
 翌日、始業式に出たものの、ソワソワしてオリエンテーションも上の空だった。キミの行方で頭はいっぱいだった。そして、考えているうちに一つ大きなミスを犯したことに気づいた。キミが東西南北のどの方向に向かったかを聞きそびれたのだった。速足で追いかけても、北に向かった人間と東に向かった人間が偶然出くわすチャンスは少ない。でも不思議と出会えるような気がした。地球の端っこから見る夕陽は最高だろうな、キミはよくそう言っていた。太陽が沈むのは…西だ。君はきっと、西に向かったんだよね。
 すぐにでも学校を辞めて追いかけたかったところが、荷造りをしているところを父親に見つかり計画は水の泡になった。キミが出発するときに、あのお父さんお母さんは事情を知っていたのだろうか。三か月という歳月が過ぎたところで、幸運なことに強力な助っ人がボクには現れた。ばあちゃんだった。あるとき小学校からの夢の話をすると、次に家に行くときにはこっそりと新しいバックパックを買ってくれていた。
「ばあちゃん、海の向こうのことはなーんも知らん。でも夢は叶えにゃならん。行ったらええが。」
そう言ってくれて抱きしめてくれた。
 大学では目立たないキャラを演じ続け、授業のあとはアルバイトに明け暮れ順調に貯金をし、入学して半年経った段階でボクは晴れて学校を辞めた。地味な奴が学校に合わず、地味に消えていっただけ。家に誰かが駆けつけることもなく、退学して数日後に仕度が整った。
 こうしている間にもキミは、少しずつ地球の端っこに近づきつつあるんだ。そう思うと、悠長にアルバイトをしている場合ではないようにも思えたけど、資金は必要だった。貯めていたお年玉とアルバイトで三十万円も準備できた。こんな大金手にしたことなんか一度もなかったのに、やればできるもんだなと誇らしくなった。端っこを証明できた日には、あの百貨店にいって地球儀を買って、あの綺麗な球体を海に浮かべてみようと思った。夢は本来雲のように自由に漂って、その行方もわからぬまま、でも必死に追いかけたくなる存在なんだ。夢は、何かに串刺しにされるものじゃない。漂うものだ。
 地球の端っこまでの行き方は、頭に全部は入っている。方位磁石を片手に威勢よく家を飛び出し西を目指した。どこへでもいける気がする。どんな道中になるか全く想像できなかったけど、行くんだ。端っこへ。

 数日前に届いたキミからの三通目のポストカードにはこう記されていた。

――――――
 元気にしているかな、日本を出発してから半年が過ぎて、あの日見た魚の雲のようにただただ漂う日々です。
 今は雨の降らない国にいます。とっても暑くて貧しくて、でもなぜか居心地の良い村なんだ。そう言えばこの村で、虹を見たことがないと言う少年に出会った。地球の端っこには虹がかかるのかな…。
――――――

なんでいつも国名を書かないんだよ、キミは。とりあえず西を目指そう。



(完)

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