ひろ・かたの

日本メノナイト福住センターの管理人です。非常勤講師で日銭を稼ぎつつ、メノナイト世界会議…

ひろ・かたの

日本メノナイト福住センターの管理人です。非常勤講師で日銭を稼ぎつつ、メノナイト世界会議(MWC)、東北アジア地域平和構築講座(NARPI)、東北アジア和解キリスト者フォーラムで活動しています。キリスト教平和主義、修復的正義、サークル・プロセスに関心があります。

最近の記事

「聞く」ちからを神学する(その5)

『聞く技術 聞いてもらう技術』をめぐる神学的探究:第4章 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書、2022年)の読後感を、神学の言葉でつづる第5回です。本書の第4章「誰が聞くのか」を取り上げます。 聞くことができるためには、まず聞いてもらうことが必要だ、と東畑さんは本書を通じて指摘しています。ゆえに、聞く技術を身につけるだけでは十分ではなく、聞いてもらうための工夫が必要になるわけです。思いおこせば、デビッド・アウグスバーガーというメノナイトの牧会神学者の

    • 「聞く」ちからを神学する(その4)

      『聞く技術 聞いてもらう技術』をめぐる神学的探究:第3章 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書、2022年)の読後感を、神学の言葉でつづる第4回です。本書の第3章「聞くことのちから、心配のちから」を取り上げます。 シカゴ近郊のロンバードに、ロンバード・メノナイト平和センターがあります。メノナイト教会に併設されており、紛争解決のワークショップやコンサルティングを手がけています。私は1995年の夏、ここで開かれた教会指導者向けの5日間のトレーニングに参加し

      • 「聞く」ちからを神学する(その3)

        『聞く技術 聞いてもらう技術』をめぐる神学的探究:第2章 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書、2022年)の読後感を、神学の言葉でつづる第3回です。本書の第2章「孤立から孤独へ」を取り上げます。 冒頭の社会時評において、東畑さんは孤独が(個人ではなく)社会問題であることを指摘し、これを敷衍する形で孤独と孤立の違いについて説明しています。東畑さんによれば、孤独と孤立の違いは安心の有無にあり、孤独とは安心して独りでいられること、孤立とは独りでいることに不

        • 「聞く」ちからを神学する(その2)

          『聞く技術 聞いてもらう技術』をめぐる神学的探究:第1章 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書、2022年)の読後感を、神学の言葉でつづる第2回です。本書の第1章「なぜ聞けなくなるのか」を取り上げます。 聞くことの不全を、私も感じます。葛藤をときほぐし、対立を解消して平和をつくる働きのカギとなるのが「聞くこと」であり、対話/話し合いによる解決の成否もまた、どれだけ聞き合えるかにかかっている、ということを神学校でも教わりました。ですから、帰国して母教会を

        「聞く」ちからを神学する(その5)

          「聞く」ちからを神学する(その1)

          『聞く技術 聞いてもらう技術』をめぐる神学的探究:まえがき 東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書、2022年)を読みました。たいへん豊かな内容で、あらためて教えられることの多い本でした。 聞くことについて、私が本格的に考えるようになったのは25年前、アメリカの神学校で平和学を学んだ時からのことです。紛争解決やメディエーション、修復的正義など、対人間の対立や諍いに対応するためのスキルを学ぶ中で、「能動的な聴き方」をくり返し練習しました。今までとは違った仕

          「聞く」ちからを神学する(その1)

          境界線を押し広げて:ナッシュビル宣言への応答

          【はじめに】性の聖書的理解ネットワーク(NBUS)によって翻訳された「ナッシュビル宣言」がキリスト教メディアやSNSで話題になっています。私が所属するメノナイト教会においても話題になっているところがあると聞いています。北米におけるメノナイトの応答の一つとして、ナッシュビル宣言の発表直後に出されたネット記事を翻訳して紹介します。なお、「クリスチャンズ・フォー・ソーシャル・アクション」とは、先日(2022年7月22日)亡くなったアナバプテストの神学者ロナルド・サイダーが、1978

          境界線を押し広げて:ナッシュビル宣言への応答

          「共同体」をめぐる断章(4)

          現代における私たちの生きづらさの原因は「分断」にある、私たちが分断されない生(undivided life)を生きるためには「共同体」が必要だ、とパーマーは言います。その上で、彼は「共同体」についての一般的な理解を、一つ一つ丁寧にひっくり返していきます。そうすることで、「共同体」が大切なことは昔から言われているのに、どうして私たちは生きやすくならないのか、ということのからくりが見えてくる気がします。それはとくに、西洋の個人主義をどこか他人事のように眺め、うちはむしろ共同体思考

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          「共同体」をめぐる断章(4)

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          「共同体」をめぐる断章(3)

          共同体とは目標ではなく賜物である、しかし賜物だからといって誰もが自然に受け取れるわけではない、というのが前回までのお話です。では、共同体という賜物を受け取ることができるには、何が必要なのか。それは「人とつながる余裕」だとパーマーは言います。余裕とはキャパシティのこと。両手がふさがっていては、キャッチボールはできないよ、というわけです。 (3)「人とつながる余裕」を育む方法が、観想(contemplation)です。別に座禅を組んでマントラを唱和する、という話ではありませんよ

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          「共同体」をめぐる断章(3)

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          「共同体」をめぐる断章(2)

          前回は、共同体がゴールではなくギフトである、というパーマーの主張を紹介しました。ゴール(目標)としての共同体は、三つのD(欲望desire・設計design・決意determination)により達成される(というより、それゆえに実現しない)のに対し、ギフト(賜物)としての共同体は、人とつながるための余裕を豊かにすることによって受け取ることができる、と彼は言います。 (2)安んじて賜物を受け取ることができるようになる、そのこと自体が大仕事です。というのも、私たちを取り巻く文

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          「共同体」をめぐる断章(2)

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          「共同体」をめぐる断章(1)

          私が所属するメノナイト(メノー派)では、キリスト教会の共同体としての意味と役割を重んじます。信徒の運動である再洗礼派(アナバプテスト)運動にルーツをもち、信徒個人の自発的な信仰告白にもとづく洗礼(信仰者洗礼)を主張した結果、自覚的信仰者によって形成される共同体こそが真の教会の姿である、と理解してきたわけです。 しかし、現実の教会はそのような共同体を志向しつつも、さまざまな困難に直面してきました。そもそも教会は共同体を形成することをしくじってきたのではないか、いやむしろ、めざ

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          「共同体」をめぐる断章(1)

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          歴史の正しい覚え方(受験勉強じゃないよ)

          「将来、あなたの子が、…尋ねるときには、あなたの子にこう答えなさい。『我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。…』」(申命記6:20-21、新共同訳) 聖書には、この世を創造した神と、神に創造された人間の関わり合いの物語が、一貫して描かれています。神は人間を造り、エジプトから助け出し、契約を立てられました。この契約を忘れずに覚え合うことで、神と人とのあるべき関係(シャローム)が保たれるのです。 ですから聖書は、人間が

          歴史の正しい覚え方(受験勉強じゃないよ)

          「聞く耳委員会」を作ろう

          【私が所属するメノナイト教会の機関誌にエッセイを書きました。サークル・プロセスを実践して気づいたことを、キリスト教の言葉で綴ってみたものです。職場や学校など、教会以外の場面でも参考になるといいと思います。】 2018年の4月、メノナイト世界会議(MWC)の総会に参加したとき、「聞く耳委員会」という役職が紹介されました。代議員や役員、専門委員などの役職をもたない3人の個人が「聞く耳委員」に任命され、会議に参加します。委員は質疑や表決には参加せず、会議で話されたことや、大切なの

          「聞く耳委員会」を作ろう

          サークル・プロセスについて

          ネット検索する限り、日本語ではまだ知られていないようです。サークル・プロセスとは、より安全で深い対話をするためのコミュニケーションの道具です。参加者が輪(サークル)になって、平等に発言の機会を確保しながら、しっかり話し、またしっかり聞くことを実践する仕方の一つです。 サークル・プロセスでは、トーキング・ピース(talking piece)とよばれる《対話のバトン》を手渡しながら、話しを進めます。私は近所の公園で拾った木の枝を「お話し棒」とよんで愛用しています。サークル・プロ

          サークル・プロセスについて

          はじめまして

          noteのアカウントを作りました。存在は知っていたものの、ようやく重い腰をあげた次第です。表現者として感じてきた生きづらさを、このツールで少しでも解消できたらいいと思います。 私の感じてきた生きづらさとは、肩書がないこと、出版事情の難しさ、そして日本のキリスト教会の敷居の高さです。今でこそ、宗教法人の施設で管理人をしていますが、結婚当初は無職で、以後大学の非常勤をかけもちしてきました。子育てに明け暮れつつ、授業の準備と教会の奉仕と学究生活をそれなりに忙しくしてきました。働い

          はじめまして