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「共同体」をめぐる断章(2)

前回は、共同体がゴールではなくギフトである、というパーマーの主張を紹介しました。ゴール(目標)としての共同体は、三つのD(欲望desire・設計design・決意determination)により達成される(というより、それゆえに実現しない)のに対し、ギフト(賜物)としての共同体は、人とつながるための余裕を豊かにすることによって受け取ることができる、と彼は言います。

(2)安んじて賜物を受け取ることができるようになる、そのこと自体が大仕事です。というのも、私たちを取り巻く文化では、欲しいもの・必要なものは自分の手で作りだすのが当然だとされているからです。ただし、受動的になるための作業は、共同体を構成したり、「分かちあい」と「問題解決」のためにリソースを際限なく集め続けたりするような、外に向かう作業とは全く違う、内に向かう作業です。外向きに何かを立ち上げて共同体が始まるのではありません。共同体は人の心が閉ざされたところから始まるのです。豊かな人間関係が外へと開示されるよりもまず、個人の心の内に「人とつながる余裕」がなければなりません。これは、人を分断させる力にあらがう余裕のことです。私たちの心も、それを取り巻く文化も、この分断させる力に囚われています。この力は、ナルシシズム、エゴイズム、嫉妬、競争、帝国主義、ナショナリズム、などとよばれる力のことで、心理的な病と政治的な病が分かちがたく結びついたものです。

オリジナルはこちらです。
Parker Palmer's Thirteen Ways of Looking at Community (…with a fourteenth thrown in for free) • Center for Courage & RenewalCenter for Courage & Renewal (couragerenewal.org)

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