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猫の神様に会いに行く

#猫のいるしあわせ

私は来週に高知県須崎市の猫神社に行こうと計画をしていたのだけれど
今日、2月22日が猫の日であると知ったので、猫の神様に会いに行く前に、猫神社のことで調べたことを書きます。

本当は、参拝した後から書こうと思っていたのです。猫好きの人たちに向けて「行ってきました、いいでしょぅ~。ウフフ***」てな感じで

日本国中に何箇所かの猫神様があるようなので、ネット検索をしてみましたがここの猫神社はすぐにはヒットしませんでした。
じゃあなぜ知っているのかとなりますが、私の故郷です。
故郷ですが、あまり猫神社のことは詳しく知りませんでしたので地元で暮らしているときには行ったことがありませんでした。

四国には至る所に神様がいる土地だということは、幼いときから語り継がれていましたので、神様の存在はなんとなくわかっていたように思います。

代表的な物は、四国八十八か所霊場でしょうが、そうではなく地元のあちらこちらに祠や鳥居、神社があり、俗に言う八百万の神々で氏神様達です。
国道を走行中に見かける神様としては、仁淀川の淵に隙間なく何十基もの朱色の鳥居が参道を彩っている小さな祠があります。こちらの神様はどんな願いでも叶えてくれると言う話で、叶った参拝者が御礼に鳥居を奉納するようです。

それでは、猫神社のお話を地元の地物語から引用紹介させていただきます。

「猫神」様は須崎の街から穏やかに錦浦湾を隔てた対岸の蓑越にまつられている。この小さな祠に参ると、喘息や百日咳、脳の病、婦人病全般に効くとされている。
江戸時代の中期、仁淀川の上流、名野川の寺に赤毛の大猫が住み着いていた(佐川の乗台寺とも)家猫は長く生きると尻尾が二又の猫又に変化する。この猫もかなりの年齢だったので、既に猫又となり妖力を備えていたのだろう、夜ごと夜ごと和尚の袈裟を盗みだしては河原で他の猫たちを集めて踊りに興じていた。ある日それが和尚にばれて寺から追い払われた。
恨みをのんだ猫又や化け猫は人間に祟りなすことが多いが、この猫は違っていて、いずこかに姿を消した猫はある夜、和尚の枕元に立った。
「長年、お世話になったお礼に近々に自分の力で和尚に手柄を立てていただきます」
ほどなくして佐川を収める深尾の殿様の葬儀があり、葬列が墓地に向かっている時、にわかにかき曇り雷が鳴り、稲妻が走った。するとガタンと大音とともに棺がびくとも動かなくなった。
集められた僧侶達も困り果てたが、和尚がお経を唱えると、棺は軽々と持ち上がり、空も晴れ渡り葬儀は無事に終わった。これで和尚の寺は檀家も増えたということに。
そして名野川を去った猫は。須崎の向山に住んでいた。
ある時、魚を取るうちに海に落ち、溺れかかっているところを、通りかかった漁船に助けられた。
「何か困ったことはないか」と猫が聞くので、漁師が「ぜんそくに困っている」と答えると猫は、「自分を祭ってくれたら咳を直してやろう」と言う。そして猫は蓑越に祭られ神様となった。
祠のある海辺に死骸が流れ着いたとも伝わっている。
 本来のご病を直す霊験に加え、安産や合格祈願に訪れる人もおり、中には迷い猫を探すために参拝する人も。踊りが好きで陽気なイメージの
「猫神」様は今でもせっせと人間にご利益をもたらしている。

みんなのジモチャ 地物語から

行って来たらまた報告をしますが、何か猫グッズを奉納しようと思ってます。

そしてもう一つ、神様のお話ついでに、こんなミニ知識をどうぞ。

日本独自の民族信仰で自然現象だとか神羅万象に神が宿るとして、八百万の神々を祭る日本において、みなさんが知っての通り、仏教は海外の神様ですよね。

諸外国では普通なら自分たちと違った神様が現れたら、よく聞く宗教戦争が起こるのがあたり前になっていますが、日本では少し違っていて、諸外国では思いつかない方法で解決してしまいました。

初めに仏教が入ってきた時は諸外国と同じように争いが起きたが、そこはすべてに神々が宿るとする日本人。「仏教も一つの神様として、神道も仏教も両方信じる」としてしまいました。

これを「神仏習合」(しんぶつしゅうごう)と言います。

さすが日本人、人類皆兄弟、神様も皆同じなのでしょうね。
この流れで、日本人はハロウィンもクリスマスも何でも受け入れられる文化になっているとのことでした。

ではまた。


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