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クリエイティブにおける完璧主義の話。

「note書きたい」と思って書き始めても、数分後には下書きの一覧に保存される。20個ぐらいあったので全部消した。

誰かの役に立つ記事を。構成から考えないと伝えたいことがブレるし。せっかく書くなら、文章力の練習になる記事を書かないとな。書いていると頭の中で余計な考えが浮かぶ。

でもnoteぐらい自由に書けばいい。完璧主義はもうやめよう。そう思ってもやっぱり書き切れない。

なんでだろう。書きたいトピックは山のようにある。仕事の執筆だと書けるのに。むしろ最近調子が良い気がするし楽しい。でもnoteやブログだと書けない。

きっと知らないうちに、一番苦手な「他人との競争」に巻き込まれているからだ。

みんな凄い人に見えるSNS

年末年始はSNSの毎日投稿をやめて、年明けも更新のペースを落とした。目標を定めて投稿していたけど、期待した成果は得られず見直しをするために。SNSから距離を置いたら、凄く楽になるという思わぬ副作用があった。

SNSは面白い。だけど今の自分にはエネルギーを吸い取ってくる存在のようで、疲れるようになっていた。

だってみんな凄い人たちだから。器用で努力家で要領が良い。自分をさらけ出していて、常にチャレンジしている。最初は「私も頑張ろう」と思ったけど、つい比較して落ち込んだり嫉妬したりしてしまって。なんだか自分が無力に思えた。

発信は仮の姿で本来より綺麗に見せていることも多いだろう。私だってそういうところがある。

でも私は器用でも要領が良くもない。Netflixで何を観るか決めるのに1時間掛かかるほど決断力がない。でも自分を受け入れてやっていくしかないと、肯定的な諦めをしている。

凡人の私は「他人と競争しても生きにくくなるだけだ」とSNSと距離を置いて気付いた。

SNSは合っていないのかもしれない。フォローしている層によってはタイムラインも平和になる。今は力を入れるフェーズじゃないのかも。そう考えると随分楽だ。

完璧な作品以外は意味がないのか

書いて誰にも読まれなかったら、何のために書いたのかわからなくなる。各スキル・伝える力を身につけるために発信する。そこから仕事に繋がったら良い。

SNSと距離を置いたけど、他人との比較を気にして「完璧な作品じゃないと公開できない」バイアスはそうとう強く残っているようだ。

構成がぐちゃぐちゃでも、同じ語尾が続いたっていいじゃん。そもそも自意識過剰だ。公開してもほとんど見られない。見てくれる方がいたら嬉しいけど。

目的がない、クオリティの低い作品は制作しても意味がないのだろうか。でも完璧を気にして何もできなくなるくらいなら、とりあえず進めてみる方がマシだと思う。

完璧に囚われると私のように永遠に下書き保存する羽目になる。

緩いクリエイティブはエネルギーをくれる

決して完璧といえないような作品が誰かの心を動かすこともある。一般的なセオリーは含まれておらず、いいねは少ない。きっと見る人のことは一切考えていない。

そんな緩い作品は作者の純粋な好奇心が詰め込まれていて、元気が出る。そこには競争も人目もないから。疲れない。

作った本人も気持ちが良いと思う。自分勝手に制作するって楽しいし、また新たな制作をしたくなるきっかけになる。

目的やニーズも今の社会では大切とされているけど、下書き保存し続けてしまうぐらいなら好きに制作すれば良い。


そう思ってこの記事は書いた。下書きにいれなくて良かった。誰にも読まれないかもしれないけど、書いた自分は元気が出たから。

完璧主義、少しずつなくしていくぞ。

・・・

最近撮った写真を載せたくなったので載せます。写真は「Nostalgia」をテーマにしてます。プロフィールに写真のステイトメントを書いてみました。ZINEの制作もスタートして、考えながら撮るのは結構楽しいです。

そんな感じでおわり。

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