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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 中編 19

 大伴氏の兵士たちの帰郷を境に、他の氏族の兵士たちも続々戻ってきた。

 飛鳥の地は、一足早い春がきたように、愛する者たちの帰還に喜び、また戻らなかった者たちへの悲しみに涙した。

 やってくるのは出征した兵士たちだけではない。

 国を失った百済の旧臣やその家族、民たちも、昔から親交のある氏族や渡来系の氏族、一足先に亡命していた一族を頼って、次から次へと流れ込んできた。

 郷里を失った者たちの姿に、倭の人々は心を痛めた。

 と同時に、唐や新羅が攻めてくれば、自分たちも土地を失い、路頭に迷うかもしれないという恐怖が脳裏をよぎった。

 それでなくとも、長津の湊では船が姿を現しただけで、「すわ戦か?」と大騒ぎだ。

 それが半島から逃れてきた百済の船であっても、飛鳥に伝わるまでには、

「唐の大船団が攻めてきたらしんや」

「いや、船は一隻らしいが、唐の使者が降伏しろといってきたらしいぞ」

「怖いのぉ~、ワシらはどうなるんや」

 と、蛇を見たという話が、龍が現れたという話に変わって、さらなる恐怖を生み出していた。

 そこに、春先の流星と地震である。

 人々の心に、なお一層の不安を与えた。

 中でも一番恐怖に震えていたのは、王族、氏族である。

 民や奴婢たちは、口では「怖い、怖い」というものの、実際何がどれほど怖いのか、想像がつかない。

 それに、もとより従属者だ ―― 家人や奴婢、当然民であっても、大王家やどこかの氏族に従属している。

 主人たちの命令一つで、明日の生活もままならなくなる身分である。

 なすが儘、なるようになる、ならなければ………………まあ、それでもなんとかなるだろう、ワシらは木の葉と一緒 ―― 風に吹かれ、水に流され、土にかえっていく ―― すべては自然のままに………………というような考えが、彼らの頭には染み付いていた。

 だが王族や氏族は違う ―― 土地持ち、財産持ちである。

 元来、民や奴婢たちの生き血を啜って生きてきた者たちだ。

 唐や新羅の支配下に落ちれば、真っ先に土地、財産を失うのは王族、氏族たちだ。

 だからこそ彼らは、声高に唐・新羅恐怖論を煽り、民たちに自分たちの命と生活を守るために、いかに国防というものが大事かを説き伏せるのである。

 が、それは真に民や奴婢たちのことを思った言動ではない。

 ただ、自分たち王族、氏族の命と生活を守るためである。

 民や奴婢たちなど、そのための駒としてしか考えていないのである。

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