見出し画像

【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 14

 鎌子は、三嶋に来て以来、腐っていた。

 父や兄は、中臣の繁栄だと都合の良いことを言っているが、結局、いいように言い包めて厄介払いしたに違いない。

 彼は、自暴自棄になっていた。

 もう勉強をする気もない。

 どうせ、俺はこの地で死んでいくのだ。

 毎日、昼過ぎまで寝ていた。

 起きても、体中が重くて何もする気がしない。

 戸も締め切り、ごろごろと転がっていた。

 それでも夜になると、ふらふらと起き上がり、馬を飛ばして、難波津の盛り場に繰り出した。

 そこで酒を浴びるほど飲んだ。

 彼は、酒好きであった。

 しかし、三嶋に来てからの酒は不味い。

 それでも、彼は流し込むように飲んでいった。

 そして、浴びるほど飲んだ後は、馴染みの女と奥に入って行く。

 結局、屋敷に帰るは明け方近くになり、また昼まで寝るという悪循環であった。

 そんな彼の行動は、三嶋だけでなく、飛鳥にまで伝わり、人々の噂に上がった。

 飛鳥の父や兄から再三の書状が届いたが、彼は封を解くことすらしなかった。

 母の智仙娘も小言を言いに駆けつけたが、彼は会おうともせず、酒と女に溺れていった。

「あんた、変わったわ。飛鳥に行ったから、ちょっとはええ男になって帰って来たかと思うたけど、見込み違いやわ。まだ、港で荷方やってた方がええ男やったわ」

 こんなことを言ったのは、昔から付き合いのある女 —— 赤根売(あかねめ)だった。

「俺が変わった? どこが?」

 鎌子は、相変わらず酔っ払っている。

「あんたの目、死どるわ」

 女は、鎌子の目を見た。

「ちぇっ、知った風に言うな。お前に何が分かるてんだ」

 酒屋の一室の派手な夜具に潜る二人。

 外は、雪が降っている。

「分かるわ。うち、いまのあんた嫌いやもん」

 女は夜具から抜け出し、火桶に手を翳した。

「けっ、嫌いも好きもあるものか。食うために男と寝る女が」

 鎌子は、女を夜具に引きずり込もうとする。

「うちらはね、体張って生きてんねん。それのどこが悪いねん。あんたらのように、毎日寝てても生活できるような連中とは違うんや。それに、こちだって人間や。嫌な人間には、生活のためやろうがなんやろうが、指一本触れさせへんで」

「うるせい、このアマ」

 鎌子は、赤根売の着物を脱がせようとした。

 女の白い肩が、闇夜に浮き上がる。

「放して!」

 女は、鎌子を突き飛ばした。

 突き飛ばされた鎌子は、酔っ払った足で倒れこむと、そのまま動かなくなってしまった。

「ちょっと……、兄さん? 大丈夫? ちょいと……」

 返事はない。

 赤根売は恐ろしくなった。

 まさか………………

 すると、男の口から鼾が聞こえてきた。

 それも部屋中に響き渡るような。

 女はほっとした。

「なんやねん、そんなに酔っ払って。そんなんで女を抱こうとしたやなんて、だらしないわ。……飛鳥でなんがあった知らんけど、ええわ、今日はごっつう休んだらええわ」

 女は、高鼾で寝ている鎌子に、そっと夜具を掛けてやるのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?