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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 11

 覚悟はしていたが、貴人の生活は相当厳しいものであった。

 奴婢のとき、何度か貴人を目の当たりにしたが、その時の優雅な物腰や振る舞い、服装に憧れ、きっと素敵で、楽な生活が待っているのだろうなと思っていたのだが、ところがどうして、早朝から夜遅くまで、ずっと勉強のしどおしだった。

 如何せん、もと奴婢である。

 歌を詠むどころか、文字さえ読めない。

 毎日木簡とにらめっこ。

 文字など読んだことがなかったので、初めの数日間は眩暈がし、数十日間は文字を見ただけで嘔吐しそうになった。

 が、慣れって怖い ―― 一1月経つ頃には平気になり、もともと覚えが良いのか、簡単な文章なら読めるようになった。

 歌に関しては、義理の兄となった安麻呂が手とり足とり、丁寧に教えてくれた。

 安麻呂は、妹ができたと嬉々としていた。

 八重女の教育は、学問だけではなかった。

 貴人の女性としての振る舞い、立ち姿など細部に渡った。

 なかでも八重女が一番驚き、眉を顰めたのが、閨房の術である。

 聞いているだけで顔が熱くなるような事ばかりで、こんなこと必要なのかと思うのだが、来島女郎(くるしまのいらつめ) ―― 一番年老いた侍女が、

『これが、女として最も大切な事柄です。よいですか、男を飽きさせず、毎夜でも通いたくなる女というのは、立ち振る舞いや歌も大切ですが、これが最も大切なのですよ。男が通わなくなれば、あなたも用済みになるのです。もっと真面目に学びなさい』

 と、至極真面目な顔で言われた。

 ところで、自分のもとに通ってくる男とは誰かと問うたが、にやりと笑うだけで、それには答えてはくれなかった。

 大伴氏の娘として、徹底的な教育が行われて数か月 ―― 歌に関しては安麻呂から何処に出しても恥ずかしくないとのお墨付きをもらい、立ち振る舞いも来島郎女から

『まあ、もと婢とは思われないほどには成長したでしょう』

 と、何とか許しをもらえることができた。

『さて、私の役目はこれで終わりました。そろそろお暇をもらいましょうかね』

 と、来島郎女は唐突に言い出した。

『お暇って……、辞めるのですか?』

『もういい年だし、若いものも育ってきましたからね。最後に、あなたの教育ができて良かった。母親の真似事みたいなことをさせてもらえましたから』

『そんな……、ずっと傍にいてくれるものと……、あなたがいなけば、私、どうすれば……』

『大丈夫、あなたならきっと大丈夫。あなたはもう婢ではないのです、八重子様。どんなときも、自分の心を強くお持ちなさい。そうすれば、周りに惑わされずに生きてゆけます』

 そう言い残し、来島郎女は去っていった。

 また、ひとりになった………………

 時の大王である宝皇女(たからのひめみこ)の弟君 ―― 軽皇子(かるのみこ)が、八重女のもとに通いだしたのは、それから数日後のことである。

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