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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 14

 八重女は、夜具に潜ってひとりしのび泣く。

 そして、楽しかったころのこと………………そんなにないのだけれども、小さいころの、稲女たちと遊びまわたり、仕事をしたり、男の子たちのことを語り合ったりしたときのことを思い出す。

 稲女は、弟成のことが好きだと言っていた。

 ―― 私は………………

 聞かれたとき、適当に誤魔化していたが………………

 初めて心を熱くした人 ―― 三成 ―― 彼の弟、弟成………………

 戻りたい、あのころに………………

 貧しくて、辛くて、人として扱われない最低の生活だった。

 が、それでも笑いあえる仲間がいた。

 語り合える友がいた。

 想いを伝えるべき相手がいた。

 ―― 会いたい、みんなに。

    稲女に、黒万呂に、そして弟成に………………

 その想いが通じたのか、黒万呂と再会することができた。

 溢れでる想いと、黒万呂の情熱に、八重女は精一杯身体でこたえた。

 正直、黒麻呂から聞いた弟成のことは衝撃で、自分の中の何かが終わるような感じがした。

 それでも、黒万呂だけはまだ傍にいるのだと自分に言い聞かせ、何とか今日まで生きてきたのだが………………

 八重女は、仮庵の茅に弾ける雨音を聞くともなしに聞いている。

 ―― 黒万呂も、私の前から………………

 きっと戻ってくると近江大津宮の警護として旅立ったが、あれ以来音沙汰がない。

 便りのひとつでも書いてくれればいいのだが、と思うのだが、八重女は大伴氏に来てから文字を習ったが、奴婢であった黒万呂が字を書けるわけもなく。

 では、誰かに言伝をしてくれてもいいのに、それもない。

 遥々蒲生野にやってきても、逢えずじまい。

 ―― もしかして………………

 黒万呂にも捨てられた?

 ―― いえ、そんなことはないわ、だって黒万呂はあんなにあたしを愛してくれたもの……

 黒万呂の夜具の中の情熱的な行為に、八重女はひとり頬を赤らめる。

 男は、軽皇子の年老いた身体しかしらなかった八重女にとって、黒万呂の弾けるような肉の若々しさと猛々しさは、刺激的であった。

 ―― 黒万呂、逢いたい………………、黒万呂………………、私にはもう、あなたしかいないのだから………………

 雨は、八重女の心にも降り続く。

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