【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 11
その後、3日間に渡って、身内の者におけるおけいの説得が行われた。〝お腰掛け〟という部屋が、説得部屋として使われる。庫裡で寝起きしている女をこの部屋に呼び出し、身内の者が復縁しろと懇々と説き伏せる。
ここで心変わりして下山する女も多いらしい。
が、おけいの意思は固い。
和助も新右衛門も、離縁しかないと思って説得しているので、それほど身が入らない。
本来なら丸1日もかからないはずである。それが3日もかかったのは、清次郎のせいである。
和助と新右衛門が説得しましたが心変わりしませんと上申すると、それはおぬしらの説諭の仕方が悪い、もっと熱心に説得しろと言う始末だ。
和助たちも、毎日宿から通って、1日中お腰掛けに籠もって娘を説得せねばならない。その費用と労力たるや、計り知れないだろう。
惣太郎は、花畑を眺めながら、その脇に建てられた小屋から聞こえてくる声に、そっと耳を澄ませる。
男の、口ごもりながらも、労わり、教え諭すような声が聞えてくる。和助だろう。
その間に、小雨のような女の泣き声が聞える。
花畑では、惣太郎の母や清次郎の妻たちが菊の世話をしている。子どもたちが、菊の花をもぎって花飾りにしている。
なんとのどかな風景。
それに比べて、小屋の中は………………
しかし、なぜ清次郎がそこまで熟縁に拘るのか、惣太郎には皆目検討がつかない。
確かに、復縁すれば一番良いに違いない。が、女の心が完全に男から離れているいま、それ以上縛り付けるのは女に気の毒だ。男だって、すっぱりと諦めさせて、次の女房でも娶ったほうが良いだろう。強引に縁を戻させても、どうせ男の酒癖は治らないに違いない。また酒を飲んで、女に手をあげるのが落ちだ。どちらにしろ、このままではふたりとも不幸になるだけだ。
それとも、中村殿には他に理由(わけ)があるのだろうか。
考えただけで頭が痛い。
顳顬(こめかみ)を押さえていると、母が話しかけてきた。
「頭が痛いのですか、惣太郎」
大丈夫だと答えるが、母は心配そうな顔で覗き込む。
「菊の花を煎じて差し上げましょうか。頭痛に効きますよ」
「そうなのですか、それは初めて知りました」
「私も由利殿にお聞きしたのですよ」
清次郎の妻は、菊の花をひとつひとつ丁寧に見ては、疲れたような笑みを零している。
「母上、中村さまの奥方ですが、どのような方ですか」
惣太郎の言っている意味が分からず、母は首を傾げる。
「つまりですね、その……優しい方だとか、それとも気の強い方だとか」
「あの通りの方ですよ。大人しくて、気の優しい奥さまです」
「中村さまとはどうなのでしょう」
「なんですか、惣太郎。あなた、他所の夫婦仲に興味があるんですか」
母は顔を曇らせる。
「いえ、これも後学のためと申しますか、私もこの寺の役人になる以上は、それなりに夫婦のことを知っておかないといけないと思いました」
「それは感心な心がけです。ですが、同じお役の方の夫婦仲を勘繰るようなことは、少々行儀が悪いのではありませんか。あなた、もしかして、中村さまが由利殿を責めているとか思ってらっしゃるんじゃないでしょうね」
当たらずも遠からずだ。
「いえ、とんでもない。ただ私は、父上と母上のような夫婦とはまた違うので、普段はどのような仲なのだろうと思いまして」
「確かに、私たちとも、また磯野さまのご夫婦とも、一味違った感じの夫婦仲ですけど、決して悪くはありませんよ。中村さまも由利殿のことを大切にしていらっしゃりますし、由利殿も中村さまを大切に想っていらしゃいます」
「はあ、そうなんですか」
「私の言うこと、あまり信用していないようですね」
「決してそうではありません。ただ、普段の中村さまの様子を見ると、どうも……。この度に件でも……」
惣太郎は、おけいの一件を母に話した。
「それは、お役目だからですよ。由利殿と一緒にいらっしゃるときの中村さまは、非常にお優しいですのよ。それに、そのおけいさんという娘さんの一件ですが、中村さまには中村さまのお考えがあってのことでしょう。そう心配することはありませんよ」
「だとよろしいのですが」
「よろしいのです。夫婦なんて十人十色、色んな夫婦がおりますし、その夫婦だけにしか分からない事情というものがあります。その点を肝に銘じてこのお役に就かないと、この先苦労することになりますよ」
矢張り、他人の揉め事に首を突っ込みたくないと、惣太郎は思った。
母と話していると、寺男の嘉平がそわそわした足取りでやってきた。
どうしたと尋ねると、
「いえね、門の前に変な男がおりまして。ここ半時、こちらの様子を伺うようにしながら、行ったり来たりしておるんです」
気になったので、知らせにきたという。
「見知った顔か」
「いえ、ここいらでは知らぬ顔です。恐らくは駆け込んだ女の旦那じゃなかと。よくあるんですよ、逃げた女房を追いかけてくるやつが」
となると、おみねか、おけいである。
おけいの組頭である新右衛門の話しでは、亭主の松太郎は未練たらたらだと言っていた。きっと追いかけてきたに違いない。
「拙者が確かめよう」
と、門に急ぐが、すでに男の姿はなかった。
「いかがしましょう、惣太郎坊ちゃま」
また言いやがったと思いながら、
「一応、中村さまに知らせておこう」
清次郎に事の次第を語ると、
「矢張り来たか」
と、不適な笑みを浮かべた。
「矢張りとは、中村さまはこうなるとお考えだったので」
清次郎はそれには答えず、嘉平を呼び、指示を与えた。
「おそらく、近くの宿に泊まるはずだ。全ての宿に、斯く斯く云々の男が行くはずだ。男が酒を頼めば、たっぷりと飲ませてやれ、暴れだしたらすぐに知らせろと、よいな」
嘉平は、急いで宿に知らせに走った。
「中村さま、どういうことでしょう」
「どういうことと言われますと」
「いえ、松太郎に酒を飲ませろなんて」
「男が酒を頼めばです。頼まなければ、難はないのですが」
「それはそうでしょうが。しかし……」
「後は、おけいがどう出るかです」
そう言ったまま、清次郎は書き物を続けた。
新兵衛に顔を向けると、笑いを堪えている。
父は、知らん顔で帳面に目を通している。
好きにしろと、惣太郎は席に戻った。
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