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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第一章「小猿米焼く」 後編 12

 宝大后への参上を終えた蘇我入鹿は、屋敷に戻り、自室で一人考えていた。

 宝大后の思し召しも、公地公民の件だった。

 宝大后は、昨年の9月に大寺と宮室を造るための人員と資材を各地から派出するようにとの命を蘇我蝦夷に出したのだが、各地の豪族からは反発が出て、結局上手くいっていなかった。

 困り果てたのは蝦夷で、以来酒の量が増えていった。

 この時、蝦夷に公地公民を薦めたのが入鹿であった。

「人・土地が全て大王のものであれば、氏族を無視して徴収できます」

 と言った入鹿の言葉を、蝦夷は大后に話したらしい。

 今日の思し召しは、その制度の詳細を聞くためのものであったのだが、入鹿にしてみれば、公地公民によって氏族の力を弱め、試験による官吏登用制度を導入し、一挙に現氏族体制から官僚体制に改革する思惑があった。

「林臣、私はね、この飛鳥の地に大陸に負けない都を、理想の都を造りたいのです。それが、あの人の夢でしたから」

 あの人とは誰であろうかと、入鹿は思った。

「田村様のですか?」

 と訊いてみたが、宝大后は答えなかった。

「兎に角、その公地公民という制度、十分研究が必要なようですね。期待していますよ」

 それが宝大后の最後の言葉だったが、入鹿は困惑していた。

 宝大后が如何に飛鳥に大きな都を築く夢があろうとも、山背大兄が大王になれば斑鳩が政務の中心地になるかもしれないのに、何を期待するのか?

「まさか大后は、ご自分が大王になろうとお考えでは?」

 入鹿は、つい口に出してしまった。

 その可能性もないことはない。

 13年間、大王の傍で政務を見てこられた実績もあるし、一時期、大后待望論も飛び交った。

 考えてみたら、大王が亡くなってから寺や宮を造る命令を出すこと事態おかしい。

 今朝の軽皇子の話も妙といえば妙だ。

「大后を大王にか……」

 入鹿は、それも考えられる話だと思った。

 彼のそんな考えごとを破り裂いたのは、玄関から聞こえてきた騒ぎであった。

 彼は、何事かと見に行った。

 そこには、頭を抑え、ずぶぬれの蝦夷が従者に抱えられた姿があった。

 雨にしては凄い濡れようだ。

 彼は、口が利けないくらい震えている。

 兎も角、入鹿は従者に命じ、湯を沸かし、蝦夷の体を温めることにした。

 話はそれからだ。

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