【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 3
「でもまあ、今度は鏡様や額田様もいらっしゃるようだからね、私は狩りはそこそこにして、そっちを楽しんでくるよ」
安麻呂は、人好きする笑顔を見せた。
「あら、鏡様や額田様まで?」
女が薬狩りに行くとは珍しい。
「いや、今度の薬狩りは、女性は薬草や山菜の採取で参加するように言われているのだよ。で、八重子もどうかと思って誘いにきたのだよ」
「はあ、私もですか……?」
「たまには遠出もいいものだよ、気晴らしになる。それに、鏡様や額田様もそなたに会いたがっておられたぞ」
「はあ……」
あまり気乗りがしない。
「それとも、良い男が通ってくるから、家を空けるのは困るか?」
安麻呂はいたずらっ子のような目をむける。
「御冗談を……」
と言ったところで、ふと思いつく。
「蒲生野って……、宮に近いのですか?」
「近いって、対岸だな、淡海の」
「では、宮に派遣された部隊も、蒲生野へ?」
となれば、黒万呂も蒲生野に来て、何処かで逢えるはずだ。
「いや、どうかな? 最近宮では火事がはやっているらしい」
「まあ!」
「どうやら、火付けらしい」
「それは怖い!」
「もともと近江への宮遷しは反対が多く、民からも不平が出ていたからな。そんな連中が火を点けてるんじゃないかと噂だ。派遣された部隊は、宮の警護で手いっぱいだろう」
「そうですか……」
だが、近江に近いということは、逢える可能性もあるはずだ。
蒲生野への行き帰りに、近江に寄っていく可能性だってある。
「行きます!」、八重女は強い口調で言った、「私、蒲生野へ行きます」
誘った安麻呂のほうが、聊か驚いていた。
「そ、そうか、じゃあ、叔父上にお願いしよう」
安麻呂は腰をあげた。
「あら、もう行かれるのですか?」
「話し合いはもう始まっているのだが、いい加減行かないと、お歴々が煩くてね。やれやれ、出たくはないのだが……」
と、ぶつぶつと文句を言って出ていった。
八重女は、その後ろ姿を見てくすくすと笑う。
本当に良い人だ………………貴人にも、こんなに良い人がいるなんて………………
婢のときは、思ってもみなかった。
貴人は全員鬼だと思っていたから………………