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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 30(了)

 百済の民の移乗が済み、残りは弟成たちだけとなった。

「お前らも早く乗り移れ!」

 大津は、弟成と黒万呂に命令した。

 弟成は乗り移ろうとした………………が、振り返った。

 燃え上がる船上に、大国の姿が陽炎の如く漂う。

「如何した、弟成? 早くしろ!」

 船に乗り移った黒万呂が、弟成に呼び掛ける。

「黒万呂、俺はここで決着をつける!」

 そう言うと、彼は燃え盛る船の中に戻った。

「弟成!」

 黒万呂の声は、炎に掻き消される。

 弟成は剣を抜いて、大国の前に立ち塞がる。

「お前、こんな所で……、いいだろ、ここで決着をつけてやる!」

 大国も剣を抜いく。

 2人がぶつかりあう!

「弟成!」

「大国様!」

 2人には、黒麻呂の声も大津の声も届かない。

 弟成は、有りっ丈の力を込めて打ち付ける。

 大国も、有りっ丈の力で受ける。

 数撃の後、弟成の一撃が、大国の剣を圧し折った。

「もらった!」

 大きく振りかぶる。

 その間隙を、大国は見逃さない。

 彼は、弟成の懐に飛び込んだ。

 弟成が体勢を崩す。

 2人は、そのまま揉み合いながら甲板上を転がって行く。

 剣を失った2人に残された武器は、拳しかない。

 互いを打ち付ける。

 力は均衡しているかに見られたが、やがて弟成が船縁まで追い詰められた。

「腕を上げたようだが、まだまだだな。この程度で、兄の敵が取れると思っているのか?」

 弟成は力を振り絞るが、押し返せない。

「ここで終わりだ!」

 大国は拳を振り上げた。

「弟成!」

 黒万呂の声が響き渡る。

 その瞬間、唐船が舷側に激突した。

 大国が前のめりになる。

 弟成の体が中に浮く。

「あっ!」

 次に黒麻呂が見たのは、業火に沈んでいく船の姿であった………………


 ………………昼前までには、全ての戦いが終わった。

 倭軍の船は、戦域を脱した護衛軍の船以外は殆どが炎上し、幾千の倭人とともに海の底へと沈んでいった。

 ―― この日白村江は、兵士たちの流した血によって朱に染まったと伝えられている。

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