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論語と算盤 事業の大義とは


 こんばんは。中国古典を中心に日々の組織運営、自己成長に役立つ記事を書いて、自分と組織の成長、そしてこのnoteを読んでくださった皆さんのお役に立てる人間になれることを目指しています。

 最近、NHKオンデマンドで「100分de名著」を楽しんでいます。

 さて、前々回、前回に引き続き、大河ドラマで一躍時の人となった渋沢栄一の著書、「論語と算盤」の回からの学びと考察を書いていきます。ゲストは中国古典の翻訳家、グロービス経営大学院特任教授の守屋淳さん。最終回まで大変わかりやすい解説でした。

 前回の記事でも書きましたが渋沢は、公益を主眼に経済活動することを合本主義と命名し、この志を貫き通すために500もの企業と600もの公共事業の運営に、80代になるまで携わり続けました。

前回、前々回記事のご紹介


武士道

 彼がその信念の根底に置いていたのは「武士道」だそうです。
 江戸時代後期でいうところの武士道とは、論語や儒教教育の影響を受けた武士道です。つまりは道徳=公益の体現者たるべき武士は国の繁栄を第一に考えることが身に付いていました。これを参考に、商工業者にも実業道をするべき、ということを説いています。

 一方で、西洋に長期滞在経験のある渋沢は、この国を優先し、個人を尊重することを軽んじる日本の思想は、西洋のそれとは違っていることを熟知していた。従って海外と交渉する場合は、注意するように、という忠告も付け加えてる。これは現代の企業でも言えることで、海外企業と相対する会議において、日本人の担当者のYESは、その後本国の上位方針でひっくり返るもの、とどうやら西洋人には思われているようです。

 さて、それはともかく武士道と実業道の根底において共通するのは「信用」です。お互いの核心は一致しているのです。 

 渋沢は、500もの企業経営、600もの公共事業の運営に携わっていましたが、給料は第一銀行からしか得ていませんでした。これら事業から得られたお金は、次の会社設立のために使う方法で、次々と新しい事業を興していったのです。死ぬまで公益に対する貢献を忘れませんでした。

さて、対照的な人間とのエピソードがあります。
 三菱財閥の生みの親、岩崎弥太郎です。彼は専制主義(一人の人間が全てを決断し、様々な事業を行う。)、そして利益は財閥で抱え込む形で独占的に利益を上げるやり方です。上述の合本主義とは思想を異にするため、岩崎との対談の中で、共同でビジネスを行おう、という提案を断固こと割りました。これを屋形船事件と言います。
 渋沢栄一は独占が嫌でした。あくまで公益のために行うこと。そしてその時一緒にビジネスを行うことをせず、同じ分野で別の会社を興して、ライバル関係となるのです。これも「競争こそが進歩や成長の元になる。これが公益につながる。」という志からくるものです。

適材適所


 上述の通り渋沢はそれぞれの事業を興しても、オーナーにはならず、適材適所、適任者を代表として就任させ、渋沢自身は人を抱えることなくどんどん事業を手放していったのです。
 適材適所はその人が国家社会に貢献する本当の道です。そして、新しき道には新しき思考様式を持つ人材を登用するべき、という考えを持っていました。渋沢は私心なく、適材適所を貫いた大変に器の大きな人物であったことが伺えます。

 さて、これまで論語と算盤の中身と渋沢栄一の思想を学びました。

<個人の観点>
 若い時に志を持ち活動をすること、天命を全うする、つまり自分の限界を知った上で自分のできるベストな道に邁進すること。

<社会、事業の観点>
 事業の根底には公益の追求を置き、それには論語にある道徳が重要であること。
 現代の合本主義としてESG投資、SDGsを本気で目指すことが、公益に資する事業であり、社会的大義と算盤が同じベクトルを向く良い傾向になるのではないか、

という点を考察しました。

 改めて、渋沢栄一の器量の大きさと、志の強さを学び、みなさんと共有できました。企業理念や企業行動規範などを読むとそれに近いことが書かれていますし私の所属する組織でもそれに近い内容があります。少し歯の浮くような感覚で、大真面目にそれについて考えることは無かったのですが、渋沢栄一からの学びを得て改めて読み直すと、社会的大義に向かって仕事をすることの大切さを、自分事として語れるようになれた気がします。

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