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君子不器 (論語 為政第二)

(意味)
君子は、使途の決まった器であってはならない。

 大変簡素な言葉ですね。ここで特徴的なのは、もはや「器」という一文字だけです。ということで、「器」に焦点を当ててみることとします。

「器」

器量が良い
器が大きい
大器晩成

器を使った慣用句っていろいろ出てきますね。
「器量が良い」の「器」は生まれ持った性質、才能、容姿の意味です。
 今回の「君子不器」でも、人の能力を器に例えています。自分の生来の特性に囚われていたり、その範囲のなかで泳ぐことだけでは、行動範囲も視野も狭い小人で終わってしまいます。

「器が大きい」の「器」は、一つの器(一人の人)そのもののキャパシティーであり、その大小は、人の評価によく用いられます。
 論語から少しだけそれますが、出口治明氏は自著「座右の書 貞観政要」(角川新書)で、こう述べています。

・どんな組織も「上に立つ人の器以上のことはできない。」
・人の器のおよその容量は決まっていて、簡単に大きくすることはできない。
・リーダーは「器」を大きくしようとせずに、中身を捨てなさい

 世の中は君子ではない人間で構成されています。もちろん、組織も上に立つ人間も、自分のもつ器のキャパシティで組織を運営するわけですが、器の大きさなんてそうそう大きくなるもんではない。そうだとしたら自分が器の中に蓄えてきたもの(経験値)を一度空にして、部下を受け入れてみよ、と述べています。

「大器晩成」の「器」。これも、個人のキャパシティのことを意味するものです。「大きな器」は、完成するのに時間がかかる。真に偉大な人物が頭角を表すには時間がかかる、という意味で、「老子」の言葉です。

 器は生活の中で、様々なものを収容するために広く用いられ、生活に浸透し、また文化的にも茶道や花道でも容器も美の一部として捉えられ、重要視されており、人物の象徴として上記のような言葉が生まれてきたのではないかと思われます。

 さて、元の言葉に戻りますと、「君子」は一つの専門の「器」の大きさや深さを競い合う存在ではなく、幅広い視野で物事を捉えるべき、そして他人の器をも包み込む存在たれ、という教えなのです。

(参考)

将の器について過去の記事でも書いています。
出口氏の言葉はこちらでも引用しています。ご参考に!

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