好みを去り悪みを去れば、群臣は素を見すと。群臣素を見わせば、即ち人君は蔽われず。「韓非子」(二柄篇)
(意味)
君主が好き嫌いを見せなければ、臣下たちは生地のままを表す。臣下たちが生地のままを表すようであれば、君主は自分の目を覆い隠されることはない。
正しい事実を知り、適切な人財を登用するためには、自分のフィルターを部下に示してはならない
韓非子は法による統治と厳格な勤務評定を重視している。
正しい基準で公正に人を評価するためには、上司がフィルターになってはならない。あくまで、フィルターにすべきは公正なルールであり、組織が正しいと信ずるポリシー、方針、行動指針である。
言葉で書かれると、もっともな事だ、と理解できますが、いざ自分を振り返ってみると、ん〜なかなかに実行は難しいものだと思います。
貞観政要の言葉
「貞観政要」に、組織はそのトップの器を越える事は無い、という意味の言葉があり、それにも通ずるものがあると思いました。「器」がいかに正しいか、が大事なのですね。
いっそ上司はそのこだわりや狭い視野というフィルターを捨てて、人を登用し、公正に処遇する。そして、公正かつ組織の向かう行動指針のみを器としてかまえておく。部下が「素」をあらわし、そこで自由に部下を思いっきり泳ぐ、そんな組織づくりを心がけたいと、いつも思っています。いろいろ苦労していますが、それについては、考えがまとまったら記事にしてみようかと思います。
読んでくださってありがとうございました。
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