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介護のこと(父母のこと)

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個人的な私小説かもしれません。父と母との想いで、介護のことを書いています。これを書くことで少しでも誰かの役に立てたらと思う気持ちも、ちょっぴりあります。
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2020年11月の記事一覧

母、病院で大騒ぎ

母、病院で大騒ぎ

特養への入所準備と言うこともあり、母を地元の大きな病院へ連れていったことがあった。2016年7月のことである。

全体的な検査は比較的、無事に終わった。そのあと最後の最後になって、輸血をしようと言うことになった。貧血なので、これをしなければ命にも関わるのだ。ことの発端はこれだった。

もちろん処置室には、わたしも弟も入ることになった。看護師さんも普通に輸血を始めようと、針を入れようとした瞬間、母は

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父、家に帰る。

父、家に帰る。

そんな訳で父は家に帰ることとなる。

弟が父の面倒を見て、施設に入っている母の行事関係をわたしがみることになった。弟と役割を交代したのだった。少しの不安も残しながら、そうすることになった。4月の終わりのことだった。

そして5月の声をきくと、わたし自身が憩室炎を拗らせ腹膜炎を起こし具合が悪くなり、入院することになる。ほぼ10日間の入院であった。自宅に帰っても、ゆっくり療養もできず、途中何度か通院も

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父、はじめての家出

父、はじめての家出

昨日から自分の日記を見て確認していたのだが、この事件があったのは入れ歯を壊した後でなく、その前であった。そしてこの夏、いろいろな事件が起こるのであった。父の家出は、2016年4月20日のことだった。この頃は、母の介護先も安定して、わたしも介護のため失職して間もない頃だった。

コロナ渦のいまなら出来なくなっているだろうが、その当時はできてしまったのだ、父の家出。その片棒を担いでしまったわたしではあ

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父、突然の弱音

父、突然の弱音

入れ歯を落とし、歯医者ものびのびになっていたあるとき、父はわたしに「もうここでの生活が嫌になった。」と打ち明けられた。「ここで」とは、「実家」のことである。当時、実家には父と弟が一緒に暮らしていた。そのとき既に母は、老健で暮らしていたので、母の住所が実家になっていたとは言え、実際には父と弟のふたりぐらしだった。

やもめの男所帯のふたり暮らしで、かなりストレスはあったのだと思う。弟も身体の弱い方で

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入れ歯が壊れた

入れ歯が壊れた

時系列で並べていくと、最初に逝去したのは父ではあったが、最初に介護が始まったのは母であった。父は偉丈夫とは程遠く、昔から病気がちなひとであった。戦争から帰り、その後結核にも罹ったことがあるにもかかわらず、その父が、実は母より元気な老後を暮らしていたのだ。でもある日、入れ歯を壊してしまうことがあった。その辺りから父の体調は思わしくなくなってきたのだった。

これを経験に思うのだが、年を取ったら、歯医

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ケ・セラ・セラ

ケ・セラ・セラ

2016年11月わたしは父を亡くした。

いきなりヘビーな展開だが、2016年10月父の具合が悪くなった。正確には突然父が施設に入りたいと言い出したのだ。父と弟の小さな家庭内、いろんなことがあったんだと思う。父の心のうちはどうだったかわからない。でも父は家を離れることを決意した。2度目の施設入所予定の朝、父は自宅のベッドのうえでお漏らしをした。9月に92歳になった父はいままで全くそんなことなかった

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母、アルツハイマーになる

母、アルツハイマーになる

父が逝ったあと、間も無くして(1年くらいだろうか)母も追いかけるように逝った。ずっと母は介護状態だった。アルツハイマー型の認知症だった。早くに手配を始めたおかげか、早いうちから、1ヶ月単位の短期ではあったが施設を度々利用できるようになり、亡くなる4ヶ月前には特養への入所が許された。

経緯は母はアルツハイマー型認知症になる前、椎間板ヘルニアを患っていた。痛みと不自由さに耐えかねて、手術を受けた。そ

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