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ケ・セラ・セラ

2016年11月わたしは父を亡くした。

いきなりヘビーな展開だが、2016年10月父の具合が悪くなった。正確には突然父が施設に入りたいと言い出したのだ。父と弟の小さな家庭内、いろんなことがあったんだと思う。父の心のうちはどうだったかわからない。でも父は家を離れることを決意した。2度目の施設入所予定の朝、父は自宅のベッドのうえでお漏らしをした。9月に92歳になった父はいままで全くそんなことなかったのだ。だのに、突然そんなことがあって、わたしはなんとしてでも施設に入れて、そこで主治医に往診して貰えば良いと思っていた。

でも次に行く病院の選択を間違っていた。綺麗なのが取り柄だけの大病院。治る見込みのある人間には、人材を惜しまないのに、父に与えられたのは研修医だけで組まれたような主治医チームだった。その若い主治医は父のベッドの前で、繋がれた医療機器を見上げながら「バイタルがこの状態なんですよ。分かりますね。もう先がないんですよ。」と言った。悔しかった。わたしだって、この病院に入れて1週間目で肺炎を起こし、酸素吸入された時、もうダメだと思っていたのだ。分かるけど、、、患者の目の前で、そう話さなくてもいいと思う。

正直、この主治医は病んでいるなと思った。それと同時にものすごく腹が立った。なんでその言葉を発するんだろう。それから入院中、父の扱いがぞんざいになった。真剣に父の転院を考えた。隣の市のこの病院より、実家の近くの病院へと転院できるように、政治家の友人に相談したのだ。その後、扱いが変わった。丁寧になったのだ、それからその主治医はわたしたち家族の目の前には現れなくなった。父が亡くなったその日も、その主治医は居なかった。最期の時間を看取ったのは、若すぎるくらいの学生と見まごうような小柄な女性の医師だった。

その方が良かった。父には最後に辛い思いをさせてしまった。ずっとじぶんの中で闇の部分になっている。時間は具合が悪くなって、ほんの1か月足らずだった。数日後、告別式は行われた。生前父が話していた「ケ・セラ・セラ」の映画のストーリー。その映画をなぞって、人生なんてケ・セラ・セラ。「なるように生きていけばいいんだよ。」そう話してくれた。「どうにかなるものだよ。」そんな思いのなか、映画のテーマ曲「ケ・セラ・セラ」がエンドレスで流れた。これは死者のためのレクイエムだと思っていたのだが、後から考えてみれば、残されたわたしたちへのメッセージだったのだと気づいた。そう。あれからもう5年が経ってしまった。

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