ひろ@hiro03green
個人的な私小説かもしれません。父と母との想いで、介護のことを書いています。これを書くことで少しでも誰かの役に立てたらと思う気持ちも、ちょっぴりあります。
あまり若い頃には興味のなかった植物。 どうしてこんなにも癒しとなっているのか。子供の頃には朝顔の成長日記を書く宿題などがあったと思う。すごく苦手で、成功させたことがなかった。あんな簡単な朝顔ですらだ。それを考えるとすごく人間的に、のんびりになったのでは、と言うことが挙げられる。 気が長くなったのだ。それに団地に住んでいるため、動物が飼えないと言うハンデ。これは随分大きいと思う。本当は猫とか犬を飼いたかった。そのため植物に流されていったのかも。考えてみたら、いろいろ考えられ
完全なる別離。 結局いろいろ助けたにも関わらず、それらを仇で返された感じ。こんなにも汚い別れとは。飛ぶ鳥跡を濁さずは夢のまた夢。
パートナーとの別離。保護者のフリして出てくる彼の母親に心から思ってたことを言い放った。彼女はお金の使い方間違っている。健康食品にお金を掛けてる割には、業者も呼ばずに無茶をする。確かに自分でやれば安いが、これはわたしのゴミではないのだ。それにわたしは第三者になるのだ。分かってる?
亡き母の誕生日が3月30日だった。 さくらの花の咲く頃、母は生まれ、またさくらの花が大好きだった。 健康な頃、何度も実家の近所の公園へ行って、さくらの花のもと散歩を楽しんでいた。 花見などとは程遠いわたしも、一定の年齢になりさくらの花が大好きになった。 コロナになってからはめっきり行ってないが、何気にさくらの花の開花に合わせて、出掛けるようになった。遠くではなく、近所の公園などがメインだけれど。 母の亡くなった年の春も、さくらが一層綺麗だった。 母は終末期、寝たきりにはな
無職のわたしは毎日が日曜日なのである。 アーリーリタイアと言うやつである。父母の介護をして失職し、その後なにも出来ずにいる。たぶんこの先ずっとここに住み、障害年金を貰いながら、生活していくことになる。若干ある貯金の運用と障害年金で生活している。 あるひとはアーリーリタイアがいいなーと言うが、実のところ、ほとんどすることがないのだ。退屈である。朝起きて歯磨き、洗顔、基礎化粧をし、朝食を摂る。皿洗いをし、いつも見る動画がアップされているのでそれを見て、9時前から相場の地合いを見
異性に「わたしのどこが好き?」と聞いたことはあるだろうか? わたしはある。 そしたら「誰にでも優しいところ」と応えてくれて、「?」と思ったことがある。「そうなんだ。わたしって誰にでも優しいのか?」 「なるほど〜」と思ったけど、嬉しいかと言うとそうでもなく、単に褒めてもらっているような気分にもなった。 それを言われてからと言うものじぶんでも気をつけて考えてはみるが、確かにお節介な面も多分にあって、お節介すぎて、余分なことをしでかすかとも多々ある。 例えば、横断歩道の前に立っ
年齢が高くなるって、穏やかに生きていけるかと言うとそうでもないらしくて、結構人間関係も、上下付けたい年頃になるらしくて、案外嫌な年頃だとなと思うことも然り。子供や孫の数、その出来、自分の生活レベル、健康不健康。差別化できることは山のようにあるらしい。 全て良い出来のひとは、余りいないのか、蚊帳の外なのか。わたしが思うにきっと蚊帳の外なのだろう。そのレールに乗らない人もたくさんいることにはいるのであろう。きっとそんな人にはこんな悩み、お馬鹿さんだなぁと思えることなんだろう。
勤労感謝のこの日。 どこにも行くところがなかったので、ウチでぼぉっとしていました。午前中、空いっぱいにはっていた厚い雲も晴れ上がり、午後は真っ青な青空になったので、スマホひとつ持って散歩に行ってきました。 この団地に越してきて6年目?だいぶ経ったのに、あまり団地のことも、この土地のことも知らない。部屋からあまり出ず、のほほんと暮らしていた。 これじゃいけないっ!!とは思ったか、思わなかったか。きっとどこへ行っても人だらけだろうと思い、近所散歩を決行しました。距離としては
いますごいシンプルなメニュー思いついた。卵掛けご飯イロイロである。まず「卵」、そして最近はまっている「はちみつ梅」そして「海苔」できれば「韓国海苔」「とろろ」も欲しい。千切りか摺り下ろしか悩むところ。味付けは「出汁醤油」か、「白だし」と「醤油」。熱々ご飯で、、、鉄板である。
いま思った。 さて夕食にしようと思った時、何か作らなきゃと考えたら、野菜が少ないことに気がついた。いつもは2週に1度、野菜を宅配してもらっているのだけれど、今週はお腹が痛くなって、ついに入院かと思って、近所の知人にその宅配を全部あげちゃったのだ。何も食べられないので、それはそれで良いとして。決して大きくはない冷蔵庫の中をのぞく。 オンリーではないが、、、とろろ芋と玉ねぎ。さてどうしよう。玉ねぎかぁ。スープにするかな。でもちょこっといただける何かが欲しい。かと言って、デリバ
ここ数年前から、生活は障害者年金と株の配当と譲渡益で生活している。 仕事場から追いやられて、なんとか食いつないでいたが、なんとか生活できている。人間追い込まれると、どうにかして生きていくものだと、最近自分の経験を経て感じている。ギリギリに生きてきて、再就職を望んで、就活を始めたところで、障害者用の派遣会社に登録しようとするも、個人情報を提出するだけさせておいて、「仕事がありません。他をあたってください。」の連続で、ほとほと就職とは縁がないんだなぁと思う。 切羽詰まって、自
筆記具を持って、書くことがめっきり少なくなった。 困ることは、漢字をすっかり忘れていることだ。なので6年前から、日記をつけている。今年で6年目と言うことで、書くことは余り苦痛でなくなった。いま気をつけて、文章を筆記具でしたためているのは、友人たちに書く手紙と6年続けた日記だけになる。他のちょっとした書類も手書きではあるが、ちゃんと書き込んでいるのは、この二つだけである。 漢字の忘れが酷いので、辞書を何年か前に購入した。こちらは電子辞書ではあるが、広辞苑の最新版を後付けで入
時として、母の最期を思い出して、考えることがある。 たびたびではないが、記憶の奥に行こうとするのを引っ張り出してきて、考えることがある。母はアルツハイマー型認知症を患っていた。そして大腸癌もあった。 84歳と言う高齢にアルツハイマー型認知症も手伝って、大腸癌の手術はできなかった。それにその頃には、母は殆ど話すこともできなくなっていて、だから母の意思を汲むこともできなくなっていた。そして父の他界後は成年後継人を付けなければならなかったし、医療費や介護費の負担は老齢年金で賄え
思い起こしてみれば、闘病歴が長い。 統合失調症になってから21年経つ。きっかけは人間関係だった。当時もっとも近しい人の裏切りにあい、精神的にきたしてしまったのが遠因だった。元と言えば、いろんなことがストレスとなり、上手に生きていくことが出来なかったのが原因。 何度も仕事を変え、その時付き合う友人も変えてきた。でも上手くいかなかった。 病気になった当初は、本当に消えて無くなりたいくらい、生きているのが辛かった。でもわたしは荒れ狂う波間に漂う木の葉のように、顔だけをプカリと
今朝ミニトマトの後片付けをした。 この前の台風で何度もプランター毎なぎ倒され、ミニトマト・アイコはボロボロになり、何個も実を落としてしまい、後片付けを余儀なくされた。100個まではいかないが、100個近く収穫したような気がする。自分にしたら、よく頑張ったと思う。 動画を見て、勉強をした。たぶん5、60本は見たと思う。農業・園芸系YouTubeをだいぶ拝見させていただいた。だから脇芽とりも結構簡単にサクサクと取り、上手に一本仕立てでしかも、真っ直ぐ育つものを、らせん状にくる
どこかに行きたい。 ぶらりとカメラ片手に出掛けてみたい気分になる。でも自分がハイリスクな人になっているので、ワクチン接種してから少し考えたい。今年もどこにも出掛けずに、8月を迎えてしまった。そんな時は、地図を眺めたり旅館やホテルのサイトを眺めたり。頭の中でシミュレーションを組んでみる。 ワクチンの2回目接種が終わったら、しばらく様子見ながら旅行の計画を立てていこうと思う。旅と言うのは、こころの自由を満喫するものだと思う。地域の食事や温泉もあるけど、一番は自然のなかに帰って