さくらの咲く頃
亡き母の誕生日が3月30日だった。
さくらの花の咲く頃、母は生まれ、またさくらの花が大好きだった。
健康な頃、何度も実家の近所の公園へ行って、さくらの花のもと散歩を楽しんでいた。
花見などとは程遠いわたしも、一定の年齢になりさくらの花が大好きになった。
コロナになってからはめっきり行ってないが、何気にさくらの花の開花に合わせて、出掛けるようになった。遠くではなく、近所の公園などがメインだけれど。
母の亡くなった年の春も、さくらが一層綺麗だった。
母は終末期、寝たきりにはなっていて、話すことも困難だったけど、それでも感情があるように思えた。
母の最後の誕生日、老人ホームで迎えた。
弟、わたし、そして母。少なくなってしまった家族で集まって、プレゼントをあげた。母に話しかけた動画がある。その動画の中、何か母は喋ることができたが、それは言葉にならない言葉で、何を語っているかわからないけど、機嫌がよさそうに笑みを浮かべていた。
良かったと思った。
当時の母の体調はあまりよくなく、病院に出たり入ったりの日々が続いていた。だから最後の花見はできなかった。少しでも見せてあげれば良かったと思ったが、具合が悪い時に見ても、、、、わたしの自己満足に過ぎないのじゃないかと思って、病院に行く道すがら、老人ホームの車の中で切ない思いで車窓に見えるさくらを横目に見ながら、元気な時にもっと一緒にいてあげれば良かったと後悔した。
母との思い出は後悔ばかりである。
さくらの花を見ると思い出す。もっと言うことを聞いてあげれば良かった。そして素直に聞くべきだった。母が元気な頃、わたしが大きい失敗をしたときに、母は黙って話を聞いてくれた。そして受け入れてくれた。それに応えて、もっとわたしも近くにいてあげるべきだった。大きな後悔。
現在の日本と言うか世界は、コロナに戦争。一番安全な時代に生きてくれたことが、母や父の最大の幸福な点だろうと思う。
さくらの花が咲く季節。
わたしは母を思い出す。きっとこれから先も永遠にだろうと思う。