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母、アルツハイマーになる

父が逝ったあと、間も無くして(1年くらいだろうか)母も追いかけるように逝った。ずっと母は介護状態だった。アルツハイマー型の認知症だった。早くに手配を始めたおかげか、早いうちから、1ヶ月単位の短期ではあったが施設を度々利用できるようになり、亡くなる4ヶ月前には特養への入所が許された。

経緯は母はアルツハイマー型認知症になる前、椎間板ヘルニアを患っていた。痛みと不自由さに耐えかねて、手術を受けた。その手術の麻酔が問題だった。術中、せん妄状態に陥った。せん妄は術後にも続いた。病院側は早くに退院することを勧めたが、家族はパニックに陥った。受け入れ体制ができてないのだ。

実家は片付けができなくなっており、病気を抱えた母を受け入れるには、機能不足であった。まず、病院のカウンセラーの相談を受けた。特養の入退所を繰り返しながら、入所を待つと言う状態になるのだった。わたしにもっと技量があって、時間があったら良かった。母は自宅での療養で、ある程度まで元に戻ったのかもしれない。わたしはそう思う。わたしは、会社、自宅、実家、施設の往来を繰り返した。心臓も、糖尿もあったので、特養からの呼び出しもしょっちゅうで、その度に短期入所の施設から搬送された病院へ急行することがあった。

何度も地域のケアマネージャーと打ち合わせを重ねた。特養に入所できないかと言うこともその都度確認した。でも当時の状態では認知症って言うだけで、初めのうちは身体的不自由さんは酷くなかったので、入所が極めて困難だった。動けるしゃべることができる認知症のひとは危険で、ほぼワンオペ状態、良くて2人体制の特養では家族がいる限り、受け入れが難しいのだ。そこでケアマネージャーから提案されたのは、老健への入所だった。飲んでいる薬も特殊だったので、1ヶ月毎に家族で母を病院に連れて行き、薬を貰ってから、自宅に一時帰宅し、老健には翌日帰ると言うことを1年以上繰り返した。






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