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入れ歯が壊れた

時系列で並べていくと、最初に逝去したのは父ではあったが、最初に介護が始まったのは母であった。父は偉丈夫とは程遠く、昔から病気がちなひとであった。戦争から帰り、その後結核にも罹ったことがあるにもかかわらず、その父が、実は母より元気な老後を暮らしていたのだ。でもある日、入れ歯を壊してしまうことがあった。その辺りから父の体調は思わしくなくなってきたのだった。

これを経験に思うのだが、年を取ったら、歯医者にかかるのも、ひと苦労である。年を取ってからの、歯科検診はマメに受けた方がいいのと、できれば入れ歯などが入っている場合、すぐに作れるものではないので、替えのものをひとつ余分に作っておいた方がいいのである。この入れ歯が原因で命を縮めることもあるのだから。

猛暑と言われる夏、この夏はおかしいよと言われるくらいの暑い日だった。父はお風呂場で入れ歯を落としてしまった。そして壊してしまったのだ。酷く不便そうに、わたしに当たったことがあった。そしてわたしに、歯医者に連れて行ってほしいと言った。

この頃は、まだ父は精神的にも落ち着いていて元気だった。わたしもこの結果が、わるいものを導くなんて思ってもみなかった。ただ、猛暑のなか、父の行きたい歯医者にいくには、あまりにも自宅から遠く、不便だった。タクシーで病院の近くに着けて、ほんの数歩歩くのにフラフラしていたのだから。あまりにフラフラとするので、わたしが手を出そうとすると、「お前はいい。」と弱々しく手を払いのけるようにして、じぶんで歩いて行こうとした。そう言う頑固さが、そのときの父にはあった。いまさらながら父に反対して、近所の歯医者に変更させるべきだったのだ。そして父は歯医者に行くことを半ば諦めていた。

父は昔なじみの、繁華街の片隅でひっそりとやっている、その歯医者に行きたかったのだ。父は「先生も代替わりして、きっと技工士さんも変わってしまったんだろうね。」と悔しそうに呟いた。



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