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父、突然の弱音

入れ歯を落とし、歯医者ものびのびになっていたあるとき、父はわたしに「もうここでの生活が嫌になった。」と打ち明けられた。「ここで」とは、「実家」のことである。当時、実家には父と弟が一緒に暮らしていた。そのとき既に母は、老健で暮らしていたので、母の住所が実家になっていたとは言え、実際には父と弟のふたりぐらしだった。

やもめの男所帯のふたり暮らしで、かなりストレスはあったのだと思う。弟も身体の弱い方であり、若干、若いとは言え食料を補給する使い走りをさせられていて、不満もあったのだろう。無意識のうちにでてくる言葉に棘を感じ、父は「施設に行きたい」と言い出した。

とにかく「家を出る。」父の選択肢はこれしかなかった。きっとストレスで潰れそうになっている弟への思いやりもあったのだろうと、後になってそう思う。それからわたしは母の担当しているケアマネさんに相談に行ったのだ。ケアマネさんにしたら強引な話である。でも実家では一発触発しそうな雰囲気で、父も精神的に堪かねていたところもあり、事情を話すと、ケアマネさんはじぶんの所属している会社の施設(ユニット型)と当面のつなぎと言うことで従来型の特養の二軒を紹介してくれたのです。

緊急を要すると言うことで、まず従来型の特養に入ってもらった。父はほとんどのことがじぶんでできていたので、ショートステイの扱いではあったが、次々と受け入れ施設が決まった。最初に入った従来型と言うのは、現在主流であるユニット型と違って、病院である大部屋、2〜6人部屋であると言うことである。逆さに言えば、ユニット型とはつまりは個室のことである。特に選びさえしなくて、よほどの事情を抱えているのなら、ショートステイを渡り歩く感じで施設への入所は可能である。また移送が困難でなければ、車椅子くらいであれば、施設の車が迎えに来てくださるので、これは車を持っていないわたしには有り難かった。

取り敢えず当日は弟に無断で決めたので、迎えの車が来たとき弟は烈火の如く怒りだした。これは当然であり想定内のことだから、父が施設に入ってから、ゆっくり説明しようと思っていた。とにかくその怒鳴り声のなか、父は着替えも持たずに父は施設に向かった。齢90過ぎてからの、父の家出であった。

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